2009年11月14日 (土)
花比べ
明日、11月15日は花比べの日。この地方では、この日に合わせてお墓に菊の花をいっぱいお供えする風習がある。
主も、遅ればせながら、今日、菊を抱えてお墓に行った。周りはすでに菊がいっぱいで、我が家の墓だけが取り残されていたけれど、これで、ご先祖様も安心したことだろう。
墓地中が菊に包まれている風情もいいもんだ。
今日の菊は知人にいただいたもの。抱えきれないほどいただいたから姉と分けたけれど、墓だけでなく、仏壇も、工房も菊で満たされている。
こんなに賑やかな菊の花を入れても、備前の花生けは、ちゃんと受け止めてくれるからすごい。
工房も菊の香りに包まれた。当分楽しめるだろう。
さて、これより先、そろそろ窯詰めに入ろうかと、今日は、朝から窯の中を掃除した。窯出し後、一応は掃除をしているけれど、いつも窯詰め前には再度掃除をすることにしている。そんなに汚れている訳ではないけれど、これは気持ちの問題だ。
これで安心して窯が詰められる。藁も童仙傍も銀砂も揃っている。明日から詰め始めよう。
窯詰めは重要な作業だ。これ一つで焼けが決まるといってよい。
しかし、窯詰めは、主にはけっこうきつい仕事だ。
2009年11月13日 (金)
備前大皿
このところ、ブログで紹介する作品は、小さいものが多かったように思う。今夜は、久しぶりに大皿を紹介することにした。
サイズは43センチ×7センチ。
これだけ大きいと家庭では使い難い。使うとすれば、これからがシーズンの鍋の具材を盛るくらいであろう。
これに寿司や刺身を盛るには大人数のパーティーが考えられるが一般的ではない。
普段、使わないときは邪魔になる。大皿は魅力だが、実際、持つとなると考えてしまう。
裏は、濃い緋色から薄い緋色に変わる景色が見どころ。高台部分は白く抜けている。
窖窯の酸化焼成の作品は秋の色合いに似ているから、この季節か良く似合う。
夏、ふわふわの白い花を付けていたカラスウリが黄色く色づいた。しかし、今年は、残念ながら実をつけていない。赤い実が生ると聴いていたから、ちょっと残念。
愛宕柿は渋抜きして食べるけれど、なかなか上手く渋が抜けないから、主は苦手だ。
秋の色は、赤や黄色ばかりではない。ムラサキシキブの濃い紫の実が最後の自己主張をしている。
秋色は、どれもいいね。
福田路子さんの器ー新作
今日は、朝方雨が降っていたけれど、昼前から日差しが戻った。しかし、天気は不安定である。
そんな中、福田路子さんが窯を出すというので見に行った。
結論から言うと、すばらしいの一言だ。新しい薪窯を得て、福田さんの作品が一段と進化したように思う。
許可を得て、いくつか写してきたので紹介しよう。
窯出しの最中にちょっと失礼して写したものだ。
胡麻の状態も緋色も緋襷も申し分ない。
人気商品のようだから欲しい人は岡山空港で開催される女流グループ「咲楽」の展示即売会にぜひ行って欲しいと思う。
見事に胡麻が掛かりしっかり溶けている。
影の部分の白い抜けが印象的だ。
緋色と抜けのバランスが丁度良い。
大きさも手ごろだから使いやすと思う。
びっくりするほどの焼成である。
これは、めったに出ない景色だと思う。
特に裏面には驚いた。胡麻と抜けの片身代わりになっている。赤い緋襷も綺麗に付いた。
拳の半分ほどの大きさしかないけれど、この存在感はどうしたことか。まるで深山の岩山である。
これにはさすがの主もびっくりだ。
この他にも見事な作品が窯から出ている。これらの作品は、岡山空港で開催される展示即売会に出品されるようだから、見たい人はぜひ行って欲しいと思う。
それにしても、最近の福田さんの作品の進化には驚かされる。これから益々「福田路子の食器ワールド」が広がっていくだろう。
2009年11月12日 (木)
童仙傍粉末
今日は、雨の中休みで、時折晴れ間が見えたけれど寒い一日になった。天気予報では、明日は、また雨になるという。この時期にしては珍しい気象だ。
さて、今日は、完全休養にしようと思ったけれど、窯詰めの準備に取り掛かる時期に来ていることが気になって、午後から、窯詰めに欠かせない童仙傍の準備をした。
今までは練り童仙を買ってきていたが、今回は割安の粉童仙を購入して自分で練ることにした。これだと、いつでも必要なだけ造れるから便利だと考えたのだが、いざ練ってみると、これがなかなか大変な作業だ。
今日は、少しばかり練っただけで音を上げてしまった。先が思いやられるね・・・。
まあ、これで当面の童仙傍は用意できたから、いつでも窯詰めが始められる。
今は、毎日が日曜日状態だから、今までのように土・日に限ることもない。ゆっくり詰めようと思う。
昨日は、秋色に染まる湯呑みを紹介したが、今日は紅を競う湯呑みを紹介しようと思う。
たっぷり入る湯のみである。
口辺部から胴にかけて濃い緋色。
白い抜けに付いた緋襷が印象的だ。
使うに連れて肌がしっとりしてくるから、艶かしく変わると思う。
木の葉の赤と比べて見劣りがしないほどの緋色はなかなか出ないけれど、この湯呑みは、その紅を競っているように思えるほどである。
2009年11月11日 (水)
2009年11月10日 (火)
酸化焼成
今日は、久しぶりに本格的な雨になった。天気予報によれば、この時期には珍しい長雨になるというが、乾いた大地には嬉しい雨だと思う。
さて、昨日は、落柿窯の主が、昔、友人の登り窯で焼いてもらった窯変の花生けをアップした。窯変は登り窯の究極であると思う。
一方、落柿窯のような窖窯では、あんな窯変は焼けないが、代わりに、窖窯特有の焼成が出来る。
今まで、何度も、このブログで紹介したり「備前落柿窯作品集」に載せたりしているから、すでにご存知とは思うけれど、今日は、再度、いくつか紹介しようと思う。
落柿窯作「備前飯茶碗」。
縁に付いた緋色と赤い緋襷が酸化焼成の証。
見込みには緋襷と、上からぱらぱら降った胡麻が上品な景色を見せている。
落柿窯作「備前湯呑み」。この湯呑みは汲出し。
この湯呑みも前の茶碗と同じ景色で緋襷と緋色が特徴だ。
見込みの景色も飯茶碗と同じだが、この湯呑みの方が鮮明に出ている。
落柿窯作「備前お預け徳利」。
茶事には欠かせないお預け徳利は備前が最高だと思う。
この徳利は窯変徳利ほどの迫力は無いけれど、景色としては申し分ない。
備前では、登り窯による還元焼成と、窖窯による酸化焼成の作品が両方楽しめるから、焼き物好きに取っては、たまらない魅力がある焼き物であろう。
2009年11月 9日 (月)
備前窯変耳付花生
秋も終わり、初冬の声を聞いてから、ようやく雨になった。それにしても、今年は雨が少ない。畑では、草ばかり元気で、ホウレンソウが元気がない。主の食べ料だけは確保できるけれど、枯れ始めているものもあって心配していたが、この雨で持ち直してくれるとを期待しよう。
さて、今、備前の売れ筋の定番は食器かも知れない。今まで、備前といえば、花入れ、壷、徳利が大手を振っていたが、まさに、様変わりしたように見える。
それでも、備前の花入れは、備前の王道であることに変わりはない。
そんな訳で、今日は、落柿窯の花生けを紹介することにした。
この花生けは、ずいぶん前の作である。陶印を見ると、主が窖窯を持つ前の作であることが分かる。
したがって、当然、焼成は今の窖窯ではなく、友人の備前焼作家さんの登り窯に入れてもらったものだ。
溶けた胡麻が筋状に流れて程よいところで止まっている。
裏面は、ご覧のように灰被りだ。この胡麻が溶けて黒い筋状に流れた。
花を入れる時はこちらを表にしても良い。
表裏は、その時の花によって決める。
この作品を作った頃は、主も若かったから勢いが感じられる。
果たして、今、こんな花生けが作れるだろうか・・・。
2009年11月 8日 (日)
バルンの季節
今年もバルンの季節が来た。刈り入れを終えた田圃の上空をバルンが飛び始めた。今朝も朝霧が晴れると同時にバーナーの音が聞こえ出した。
毎年、11月に、この町で行われていたバルーンフェスティバルは、今年は中止が決まったという。市町村の財政事情の悪化がこんなところにも波及した。
今まで、何年も続いて来た行事がなくなるのは寂しい。来年は、是非、復活して欲しいと思う。
さて、主は、窯焚きのお手伝いの疲れで休養の日になった。工房に出てぼんやりと作品群を眺めていたら、ちょっと変わった色合いの鉢があったので、今日はこの鉢をアップする。
水簸していない原土だけで造った鉢だ。この原土の耐火度は高くないから、この作品を見ると、ちょっと行き過ぎたようで、せっかくの緋襷が消えかけている。良く出来た鉢なのにもったいないことだ。
鉢のサイズは、八寸×三寸。丁度使いやすい大きさ。多用鉢として最も使い勝手の良いサイズである。
裏面は、炎が直接当たら無かったのか白く抜けている。そのためこの土の性質が良く分かる。
この鉢の良いところは、縁に工夫があり、しゃもじですくった時、料理が外にこぼれないことだ。
ちょっとした工夫だが大事なことだと思う。
2009年11月 7日 (土)
2009年11月 6日 (金)
2009年11月 5日 (木)
二人のための茶器
今、主が欲しいのは、茶飲み友達。一人暮らしの気楽な日々を送っている主も、時には寂しくなることもある。そんな時、茶飲み友達がいればいいのに・・・と思う。
今夜は、二人のための茶器を紹介しよう。
丁度、二人分の茶を注げる大きさしかない宝瓶である。
口は「なまず口」だが、以外に水切りが良い。蓋には綺麗な胡麻が降っている。
茶を楽しむには、白地の茶碗が欠かせない。備前では、備前焼の煎茶茶碗を使う人も居るけれど、これはいかがなものか。茶の色を楽しむには、やはり白地だろう。
この茶碗は、いつもお世話になっている茶道具屋さんの我楽多市で見つけたもの。
いつ頃のものかは分からないが、気に入っているから良く使う茶碗だ。
2009年11月 4日 (水)
日向ぼっこ
暖かい陽光が戻った。縁側で日向ぼっこを決め込んだ。この季節の日向ぼっこは最高だ。
昔、農家には、どこの家にも縁側があって、コミュニケーションの空間であったように思う。
しかし、今では縁側が無くなり、外の世界と内の世界を緩やかに区別する空間が無くなった。
縁側が消えるに従って、人の心にも穏やかさがなくなったように思えてならない。
日向ぼっこを決め込んでいると、つい、うとうとしてしまう、至福のひと時だ。
しかしながら、怠惰な主も少しは仕事もしている。今日は、花生けを挽いた。
最近は、皿や鉢といった食器ばかりを作っていたから、花生けを挽くのは久しぶり。
主は、いつも思いのままに造るから同じものが出来ない。今日もまちまちになった。
落柿窯がいっぱいになるほど素地は出来ているけれど、さて、窯焚きがいつになるかはわからない。
2009年11月 3日 (火)
アカギレ
寒くなると、必ず主の左手指先が割れる。いわゆるアカギレだ。昨日からの寒波で、約束通り左手の親指の先が割れた。ひりひりと痛い。こんな状態では、とても轆轤を挽く気になれず一日ぼんやりしていた。
展示場には、今まで焼いた作品があふれている。それらを眺め回していたら手造り宝瓶が出てきた。形は変だが使えないことはなさそうなので、今日はこの宝瓶を紹介することにした。
見るからに不細工な宝瓶だが、主の造ったものだからこんなものだ。
使ってみると何とかなるから、これはこれで良い。宝瓶は奥が深いから、作り出すと病み付きになる。
サイズは9寸×2寸。
これだけあるとけっこう大きく感じる。
胡麻は綺麗に掛かっているけれど、緋襷の色が悪いのが残念だ。
食卓に一枚あると便利な皿である。
みんなが備前の器を使ってくれれば嬉しいのに・・・。
2009年11月 2日 (月)
木枯らし1号
今日は寒い一日。早くも「木枯らし1号」が吹いた。例年に比べて寒くなるのが早いのだろうか・・・。明日の朝は冷え込む予報が出ている。
主は、今日、先日の組織検査の結果を聞きに言った。結果は、「しろ」と言うことで一安心である。これで、また少し寿命が延びた。
霜月に入って、いきなりこの寒さとは・・・、いささか困惑するけれど、この寒気で紅葉が一気に進んで見事な紅葉になれば嬉しい。
さて、主は、今日も外出していたから、昨日挽いた鉢の削りのタイミングを失するところだった。帰宅して、あわてて削ったが、間に合ってほっとしている。昨日のような雨の日には、ほとんど乾燥しないのに、今日は、乾いた空気に変わったから、一気に乾燥が進んだようだ。
たぶん、使いやすい鉢になると思う。
削りながら、茶席の菓子鉢にならないかな・・・と、ふと思った。
今日、紹介するのは、そんな菓子鉢にもなる7寸の輪花鉢だ。この鉢もすでに紹介したことがあるかも知れない。「備前落柿窯作品集」には、当然ながら載っている。
濃厚な緋色の中央に丸い抜け。その中に緋襷。
高温の場所にあった割りには傷がないのが不思議なほどだ。
この鉢も被せで焼かれているから、裏には厚く胡麻がかかっれいる。まるで釉薬をかけたようだが、これは、松割り木の灰が積もって溶けたものだ。
胡麻は、備前焼の醍醐味の代表格である。
八重のサザンカが盛りを迎えて、木の周りは白雪が積もったようになってきた。
横着な主は、掃除することも無く、そのままにしているから、これも落柿窯の晩秋から初冬にかけて見られる風物詩の一つである。
2009年11月 1日 (日)
思い出の一品
6寸の皿をいくつか作っているうちに、20数年前の初窯から出た6寸の菓子鉢があるのを思い出した。
以前、紹介したこともあるし「備前落柿窯作品集」にも登載しているから、すでにご存知の人も居ると思うけれど、普段は棚の奥にしまいこんでいるため、ほとんど忘れている。
初窯の作品は、余り残っていないけれど、この器は、初窯から出たとは思えないほど上手く焼けているから記念に残しているものだ。
サイズは、6寸。焼成は、これぞ窖窯・・・と言うほど景色が見事だと思っている。
この菓子器が初窯であることがわかるのは、その当時使っていた窯印(陶印)とその拙い造りである。
今だと、もう少し上手く作るのにと思うが、この鉢を見ると当時の思いが伝わってくる。
この鉢は、主が陶芸を始めた頃の純粋な気持ちを思い出させてくれる貴重な一品である。
今日から霜月
早いもので、今日から霜月。このあたりで霜が降り始めるのは、ひと月以上先の話だが、落柿窯の周辺は、すっかり稲刈りが終わって寒々しい風景に変わった。
どこかですくもを焼いているのか、北の窓から匂いが入ってくる。これも変わることのない晩秋の風物詩だ。
今日は午後から雨になった。冷たい雨だ。この雨の後、ぐっと気温が下がる予報が出ている。気をつけよう。
今日は、6寸の器を挽いた。焼き上がりを6寸に保つには、轆轤挽きは7寸ほどがいる。
こんな食器を使うシーンがあるかどうかはわからないが、この大きさと形なら、無精者には丁度良いと思う。
今日の土瓶は少し大きい。これなら5人前のお茶を注ぐことも出来るだろう。
2009年10月31日 (土)
器のサイズ
主は、今日も所用で出歩いていたから陶芸はお休みにするつもりであったが、予定より早く帰宅できたから土瓶のパーツを一組挽いた後、残りの土で作ったのがこの6寸鉢。
この状態で7寸ちょっとあるから、焼成後は6寸ほどになる予定だ。
何度造っても一番使いやすい器のサイズが良くわからない。料理をする人にはなんでもないことかも知れないが、器にこだわりのない主には器のサイズを決めるのに苦労する。
日々良く使う器は6寸が多いから、やはり6寸が一番使いやすいサイズだろう。
今日、轆轤に残った土で挽いたのが6寸の焼き上がりを想定したこの多用鉢だ。煮物入れにもスープ皿にもサラダボールにも使えるはずだ。
明日は、このサイズを少し挽いてみようと思う。
2009年10月30日 (金)
りんごの唄
東京の「なずなのかあさん」から、今年もりんごが届いた。信州の真っ赤なりんごだ。爽やかなりんごの良い香りがする。
若い頃、りんごの季節には、よく信州の山に通っていたから、りんご畑に真っ赤なりんごが生っている風景を思い出した。
工房に爽やかなりんごの香りが広がった。
このりんごは、標高の高いところ(700メートル)で栽培される「シナノスイート」と言う種類らしい。
初めて食したが、とても甘みが強く、上品で美味しいりんごだ。
なずなのかあさん、いつもありがとう。
さて、今日の主の仕事は土瓶造り。無骨な主は、上品な急須が造れないから、もっぱら無骨でも何とか通用する土瓶を作る。
主は、茶器を造るときが一番楽しいようだ。
しかし、主の造る茶器が実用に耐えるかどうかは定かではない。
2009年10月29日 (木)
柿日和
今日もすばらしい青空。こんなに晴天の続く秋のシーズンは久しくなかったように思う。
落柿窯のシンボルである柿の大木にも多くの実が生っている。この柿の大木は樹齢100年を超えると思われる、次郎柿だ。
主は、長年、この柿を御所柿と思い込んでいたのだが、良く調べてみると次郎柿は毎年皇室に献上されているらしく、このことから主が御所柿と勘違いしたもののようだ。
ネットで詳しく調べたら、実の形も味もまさに次郎柿そのものだった。
次郎柿はこのあたりでは珍しくて、この実を食した人は、みんな、その美味さに感動する。
この大木の横に義兄が植えた本物の御所柿がある。こちらの樹齢は30年になる。
御所柿は奈良が大元で、その一枝が鳥取の郡家(こうげ)地方に伝わって出来た花御所柿がある。この柿がどちらかはわからないが、とにかく甘みが強く美味い柿だ。
次郎柿も御所柿もこのあたりでは珍しいから大事にして行こうと思う。
このほか、畑にはやはり義兄が植えた大秋柿があり、西条柿があり愛宕柿がある。
柿好きの主には、幸せいっぱいの季節だ。
さて、昨日は、八寸皿を紹介したが、今日は、もう少し大きい九寸皿を紹介したい。
八寸皿と比べるともっと堂々としている。普段使いには、これほど大きい皿は、かえって使いにくいと思う。
これ以上大きい皿は、大皿に部類される。
見ての通り、胡麻と緋襷が美しい皿だ。
この皿は以前「備前落柿窯作品集」に集合で取り上げていたが、今日、新ためて、独立して登載した。
2009年10月28日 (水)
八寸皿
食器を作る上で八寸と言う寸法は重要な意味を持つ。特に、皿や鉢においてはなおさらだ。これは茶席の懐石料理で使われる器を想定したものだが、一般に使う場合でも八寸の皿は多用途である。
しかし、造る側からするとなかなか簡単にはいかない。特に備前の土の収縮を考えた時、轆轤挽き時点では九寸以上が必要だし、時には一尺近くで挽かねばならない事もある。
焼き上がりを丁度八寸に保つにことは本当に難しい。
大雑把な主は、いつも適当な寸法で造ってしまうから、焼成後に八寸丁度の寸法が取れたときは思わずにやりとしてしまう。
この皿は、たまたま八寸あった。いつも大き過ぎたり小さくなり過ぎたりで、丁度八寸で止まってくれることが少ない。
もっと綿密に計算すればよいのだが、主の頭ではとても無理である。
2009年10月27日 (火)
玄関の明かり
このところ夕暮れが早くなり、5時を過ぎる頃にはもう薄暗くなっている。
今日は、午後からの眼科の診察を終えて帰宅したら、すでに回りは薄暗くなっていた。
この春まで雇われ人だったから、秋が深まるにしたがって、一日の仕事を終えて帰宅する時間には、ほぼ暗くなっていた。そのため、帰宅した玄関で迎えてくれる明かりが唯一の慰めであった。
今日も薄暗い中帰宅したら玄関の明かりが迎えてくれた。もう、そんな季節になったのかと改めて思う。
夏の間は、まったく無視される存在だが、これからの季節になると明かりの温かさが身に沁みるから、この明りとりが活躍することになる。
さて、今日は午前中、久しぶりにパスタ皿を挽いた。今日のパスタ皿は、皿の縁が上がったデザインにしたからスープの多いパスタでもOKである。
最近の米の消費量の落ち込みは、パンやパスタなどの小麦製品の伸びが影響しているのだと思われるふしもある。
米を応援する主が、パスタ皿を作って良いものか・・・迷うところではあるけれど、この皿はカレー皿にもピラフ皿にも使えるから、お許しいただこう。
2009年10月26日 (月)
般若心経の宝瓶
今日は、一日鬱陶しい天気だった。先日の入院検査の後、なかなか体調が戻らない。2日続きの検査はけっこう体力を消耗するようだ。
帰宅してからも、金、土、日曜日と続けて来客があったのも多少の影響があるのかも知れない。
今日は、朝から天気が悪いのを良いことに、主の持ち味である怠惰・怠惰で過ごした。
そうは言っても、なにもしなかったわけではない。午後から、昨日、陶芸体験で造られた鉢と湯のみの高台を削った。
2日間の陶芸体験で出来上がった作品たち。どれも力作ばかりだ。見ていると、微笑ましくて楽しくなる。
陶芸が病み付きになるもの致し方ないことだと思う。
庭の秋色が濃くなってきた。雨に濡れた庭の風情も捨てがたい。
カラカラ天気が続いていたから、今朝の雨で木々が息をしている様子がわかる。
一雨ごとに秋が深まり、木の葉が散っていく様は風情はあるけれど、なぜか寂しさも増してくる。
今日は、久しぶりに西坂春水さんの般若心経の宝瓶を出してみた。
かつては、般若心経や高砂を宝瓶に書き込む技術を誇っていた作家さんが何人かいたけれど、今では主の知る限り誰もいない。そんな作品の好き嫌いは別にして、寂しい限りである。
宝瓶の胴一面に般若心経が書き込まれている。
生前、良くお邪魔していたが、驕りのない好好爺であった。
西坂さんの自慢は、「心経を一字一句間違いなく書き込んである」と言うことだった。
今となっては懐かしい思い出である。
こんな感じで書き込んであるのがわかるであろう。
誰か後を継ぐ人が出てこないものかと思う。
西坂さんの字の上手さも特筆ものだ。
2009年10月25日 (日)
陶芸体験
今日は、午後から同胞会の行事を終えたチャヌ一家が、お友達のミカンちゃんの家族を連れて再来窯した。
ミカンパパもママも陶芸体験は初めてのようで興味深々である。親たちが陶芸に熱中している間、コギたちはおとなしく、とてもお行儀が良い。
チャヌ君と似てはいるけれど、女の子だからどこか違っている。
手前の鉢はミカンママさんの作。奥の四方皿はチャヌママさんの作。
どちらも、なかなかの出来映えである。
右の下隅に見えているのは、チャヌパパさんのコギの置物だ。
ミカンパパさんもミカンちゃん用の鉢と自分用の湯飲みを製作。チャヌパパさんは自分用の細い湯飲みを轆轤挽きした。
みんな、焼き上がりを楽しみにしているから、主の責任は重大である。
2009年10月24日 (土)
夕焼け雲
今日は一日曇り空。そんな天気に、チャヌ一家が訪ねてくれた。今日は、近くでチャヌの同胞会があるようで、その前に立ち寄ってくれたのだ。その上、嬉しいことに昼食までご馳走になった。
昼食は、落柿窯から車で4,5分の所にあるシチュー専門店「サンタ・アムール」に行った。
大人の味でとても美味い。初めてのチャヌパパもチャヌママもびっくりしたようだ。
食事の後、落柿窯に帰って待ち合わせの時間まで轆轤に挑戦。
20年ほど前、少しは経験があるものの、ずいぶんご無沙汰していたのに、さすがに器用なだけあって上手い。
こちらはチャママ。まったくの初めて。苦労しながらも何とか器になった。
早く遊んでくれないかな~と恨めしげだ。
チャヌの食事用食器が出来た。トレードマークの肉球がデザインされている。
こちらにも肉球がデザインされた。
小さな壷でも十分に存在感があるから備前はいいね。
夕方、西の空が赤く燃えていた。波状に浮かぶ雲に夕焼けが重なって余り見たことがない景色だ。
「秋は夕暮れ 夕日のさして 山の端 いと近こうなりたるに 烏の寝床に行くとて 三つ四つ 二つ三つなど飛び急ぐさえあわれなり。まいて雁などの・・・」
秋の夕暮れは趣き深い。
2009年10月23日 (金)
白い湯呑み
霜降は雲一つない晴天になった。午前中、落柿窯の工房の横に建っている電柱でトランスなどの取替え工事があって2時間ほど停電した。
最近、電化住宅の家が増えた関係で電力量を増したり、塩害対策を施したりの工事のようだった。
かく言う落柿窯の母屋も電化住宅になっているから、今日のような工事の日には全くのお手上げ状態になる。最新式の設備は弱いものだ。湯を沸かすことさえ出来ない。
「便利は不便である」と言うことか・・・。
さて、今日は姉たちの陶芸教室の日。今度、メンバーで始めて薪窯を焚くことになった。今日は、その窯詰めだったから、付きっ切りでアドバイスしたら、2時間足らずで終了。後は火入れを待つのみだ。
そんなこんなで、今日の仕事は何もないから、今夜は、またまた展示室から湯呑みを摘んできて写真に撮った。
見ての通り、白い湯呑みだ。
酸化焼成の白い肌に赤い緋襷。いつもの景色である。
飲み口にはかすかに胡麻が降って柔らかい緋色が付いている
白地に赤い緋襷はいいね。
使うにしたがって、一層艶やかに変化するから、使う楽しみも大きい。
2009年10月22日 (木)
深まり行く秋
今日も快晴の青空が広がった。このところ、ずっと雨らしい雨はない。稲の刈り取りには好都合な天候だとは言っても、野菜たちにとっては、一雨欲しいところだ。
それでも、落柿窯の畑では秋野菜が大きく育って食べごろになっている。水菜、ホウレンソウ、チンゲンサイ、小蕪、ラディッシュ、ネギ・・・どれも今が食べごろ。ただ、大根と白菜、ブロッコリーはこれからだ。
草と共生している野菜たち。無農薬、有機農法でまったく手をかけないけれど、野菜たちは、どれも甘くて柔らかく美味い。
これからの主の食卓は、毎日野菜鍋になるはずである。
今日は、昨日までの検査の影響が残っていて、やや体調不良だが、歯医者さんの予約が入っていたため午前中は出かけた。しかし、午後はずっと横になって過ごしたから、工房には入っていない。
今夜の写真は何にするか探したら、前に、「備前落柿窯作品集」に登載した茶入が出てきたので新たに写した。今夜は、この茶入をアップすることにする。
この作品は、主が友人の作家さんのところで遊ばせていただいていた頃、そこの登り窯で焼いていただいたものだ。
ところどころに傷はあるが、今までに主が造った茶入の中では秀逸であると思っている。
この茶入は落柿窯で焼いたものだ。肩にかかった窖窯特有の強い胡麻が景色になっている。
残念ながら、いまだに蓋も箱も仕覆もない裸の状態で転がっているのがかわいそう。
それにしても、茶入は難しい。主の技量では造らないほうが良いのかも・・・。
2009年10月21日 (水)
無事?に帰宅
一泊二日の入院検査を終えて夕方帰宅した。結果は、今日の青空のようには行かなかったが、暗黒星雲のようでもなく曇り空と言うところか・・・。最終結果は組織検査の結果待ち。大体2週間で結果が出る。しかし、今すぐにどうと言う自覚もないから、主の生活は今まで通りだ。
二日足らず家を留守にしただけで、秋の深まりと競い合うように周りの田圃ではコンバインが忙しげに動いている。
刈り入れの遅いこのあたりの田圃も週末までにはほぼ裸になるだろう。
今朝は一段と冷え込んだと見えて、木々の葉の色つきが増したように思うのは気のせいか・・・。
落柿窯の母屋の前にある夏椿の葉が次第に色づき始めた。
昨日からの検査は、絶食が原則だったから、主は、少しふらつきながら帰宅した。早速、もぎたての柿にかぶりついた。
もぎたての柿は瑞々しくて美味い。腹ペコの五臓六腑に沁み渡るようだ。
落柿窯作「備前小皿」。
サイズは13センチ×3センチ。
多用皿だから用途に制限はない。銘々皿としても使える大きさだし、コーヒーカップのソーサーとしても使える。こんな皿が5枚あったらいいだろうな。
2009年10月19日 (月)
秋日
「備前焼まつり」が終わり、一気に秋が深まった気がする。この時期になると必ずといって良い程思い出す詩がある。中国の詩人「耿イ」の「秋日」と言う詩だ。
返照入間巷 憂来誰共語 古道少人行 秋風動禾黍
夕日が沈もうとしている。愁いを抱いていても語る人もいない。古い道は人が通ることもまれで、ただ、秋風が禾黍(かしょ・吉備などの穀物、今では稲穂)を動かしているだけである。
こんな意味だと思う。
日本でも中国でも秋の夕暮れは心に響くようだ。今日の散歩はまさにこの風情であったように思う。明日からの入院検査(内視鏡検査)に一抹の不安を覚えるからであろうか・・・。
刈入れを待つばかりの稲穂が秋風に波打っている風情はなぜか心に沁みた。
さて、今日は展示室の作品の中から小さな花生けを取り出して野の草を生けてみた。
広口の小さめの花生である。これにセイタカアワダチソウとムラサキシキブを合わせた。
拳程の大きさ。
工房脇のネコジャラシを差して見たが、これでも雰囲気があるから、やはり備前はすご焼き物だと思う。
茶室の前にある蹲の横でツワブキの花が咲いていた。益々秋が深まっていく。
明日から入院検査なので、退院まで記事がアップできないからブログはお休みである。
2009年10月18日 (日)
備前焼まつりー2日目
今日も朝から青空。絶好のまつり日和である。主は、今日も友人と、そのお連れのご婦人2人の4人でまつりに行ってきた。
今日は、昨日見なかった場所を中心に回った。早速、紹介しよう。
このほかにも綺麗に酸化焼成された器の数々が並んでおり、奥様方に大人気であったように思う。
塩焼きの茶碗や酒器、花入れが並んでいる。落ち着いた空間に疲れが癒されたようだ。
美味いお茶を接待されて嬉しいひと時であった。
楽山さんの玄関の横の出窓には、赤い実が生った紅葉しかけた木が活けてあり秋を感じる風情である。
木村玉舟さんのギャラリーの入り口には備前焼の裸婦像が置かれている。
備前はいろいろあって楽しい。
さすがのたたずまいだ。
この後、山本陶秀邸に上がらせていただいて今日の散策を終えた。
今日は、昨日よりも多い人出で賑わっていたから、まつりは大成功だと思うが、経済効果の程はわからない。
今日、まつりにご一緒したご婦人の一人が、落柿窯に帰宅後、ちょっと轆轤を回したいと言うのでやってもらったら、初めてとは思えない轆轤捌きを見せた。それもそのはずで、知る人ぞ知る、12分の1のミニチュアを制作する芸術家だった。
マスコミにも何度も取り上げらsれたことがあるというからビックりだ。
彼女のホームページにリンクしておくから見ていただきたいと思う。
世間にはすごい人もいるもんだ・・・。
2009年10月17日 (土)
備前焼まつりー初日雑感
備前焼まつりで、あちこちのお店や出店を冷やかしていて気づいたのは、登り窯の作品の中にずいぶん窖窯の作品が増えたということだ。
かつては、備前焼といえば、当然登り窯と言うのが相場であったけれど、ここ10年ほどで少しずつ窖窯が市民権を得てきたように思う。
今日も窖窯の作品をたくさん見た。
完全酸化焼成の水指と芋徳利。
これも窖窯焼成の作品だ。
これ以外でも窖窯焼成の作品を多く見た。
現在では、窖窯焼成の作家さんが増えているだけでなく、作家さんの中には、登り窯と窖窯の両方を持っている人もいるようだから、作品の幅がどんどん広がっているように思う。
さて、落柿窯は問題にならないほど小さな窖窯から主の好きな酸化焼成の作品を細々と造り出しているにすぎない。
主は、こんな作品が焼きたいから、これからも、窖窯による酸化焼成にこだわって行くつもりだ。
夕方、散歩の途中、田圃の畦道で野菊に出会った。ノコンギクと言うらしい。
備前焼まつりー初日
備前焼まつりに行ってきた。昨日まで天候が心配されたが、今日は曇りから快晴の空が広がった。気温は暑いくらいまで上がった。
人出は例年並みのようだが、やはり財布の紐は硬そうだ。それでも盛況な出店もあちこちで見られたから、明日につながって欲しいと思う。
伊部駅前のアーチ。信号が変わるたびに人の群れが国道2号線を渡って動いていく。
友人の渡邊琢磨君の出店も頑張っていた。オリジナルのニンニクポットが人気のようだ。
毎年楽しみにしている小西陶蔵さんの素敵なギャラリーにもお邪魔した。
昨年とは作品が少し変わっていたように思う。いろいろな作品が見られるのは嬉しい。
壁にかかっている書も味わい深くて、焼き物とは違った楽しみでもある。
女流らしい作品たちが並んでいる。
丁寧に作られた急須たちが素敵だった。
今日は、久しぶりに会った人もいて楽しい日になった。明日も友人と一緒に行くから、また変わった報告が出来ると思う。
明日も晴れてくれることを祈りたい。
2009年10月16日 (金)
備前焼まつりー前夜祭
今夜は、「備前焼まつり」の前夜祭が、JR赤穂線伊部駅周辺の焼き物通りで開かれているはずだ。しかし、備前から離れた落柿窯にとってはまったくといっていいほど無関係である。
主は、備前焼まつりを毎年見に行っているけれど、それは、単なる観光客としてヒヤカシに行っているに過ぎない。
積極的に参加して出店している人は大変そうだが、観光客としては楽しいばかりだ。今年も、明日も明後日も、のぞいてこようと思っている。
さて、今夜の作品紹介は鉢を選んだ。この鉢は、今まで紹介したことがないと思う。
サイズは24センチ×8センチ。
この鉢もやはり窖窯特有の胡麻が特徴である。
本来は、食器として造ったものではあるけれど、お花の好きな方は水盤として思いをはせるのではないかな。
この鉢は、思いのほか堂々としているから、花を生けるのが正解かもしれない。
いずれにしても、備前は使い方を強制しないから、自由度が大きい「やきもの」である。
2009年10月15日 (木)
心無罣礙ー般若心経に学ぶ
何事にも、こだわらない心で望むことは難しい。最近、轆轤を挽いていて特に思う。意識しすぎると轆轤は切れない。そうかといって意識しないでは形にならない。
心にわだかまりを持たず、何の妨げも無く轆轤が挽けたなら、きっと澄み切った作品が出来ると思う。
しかし、それは至難の業だ。先人たちはどんな心で作陶していたのだろう。
落柿窯の栞には「土にすなおに、火にすなおに、風と水も加わって、自然への感謝の気持ちと、先人達の心を求めて精進しています」と書いたが、先人たちの心を求める旅は遥かに遠い。
キンモクセイの香り
今朝の気温は10度前後で寒いほどだったが、昼間は晴れたり曇ったりで爽やかな日和になった。
主は、相変わらず怠惰である。昼間から開け放った部屋で昼寝を決め込んでいたら香しいキンモクセイの香りがする。このところの秋の深まりと共にキンモクセイの香りも強くなったように思う。
母屋の近くに大きなキンモクセイの木があり、今が盛りと咲いている。工房にも茶室にも、手折って投げ入れてあるから、そこらじゅうで香る。
この香りを嗅ぐと、必ず、昔いただいたキンモクセイ茶の強烈な味わいを思い出す。いくらお茶好きの主でもアレにはいささか閉口した。
工房脇のムラサキシキブの実が今年はいつに無く鮮やかな色合いになっている。
主の周りのすべてのものが秋を謳歌しているようだ。
怠惰な主ではあるけれど、少しは仕事もした。今日は盃形の小皿を少し挽いた。
食卓で香の物を入れたり、珍味を入れたり、刺身醤油を入れたり・・多用途に使えると思う。
この皿も窯を詰めるために必要な小物だ。
さて、今日の作品紹介は小さな輪花鉢。
サイズは14センチ×6センチ。
この鉢も多用途に使えるから重宝すると思う。
ただし、単品であるのが残念だ。
裏から見ると、この鉢が重ね焼きしたものであることがわかる。この鉢は、重ね焼きの一番上にあったものだ。
この変化は、窖窯による酸化焼成の妙といえる。
2009年10月14日 (水)
今日も茶碗
2009年10月13日 (火)
本物OR偽者
今夜は、主のお気に入りの茶碗で茶を点てた。この茶碗がちょっと曲者。20年以上前、職場の近くの骨董屋で購入したのだが、この茶碗が何ものなのかわからない。骨董屋の亭主(女主)によれば、「高麗はある」などと嘯いていたが、果たして本当なのか?
見てわかるように、一箇所、入があり金接ぎしてある。歴代の所有者が大切にしていた証拠には違いないが、価値は不明だ。
この茶碗の出所は、ある茶人が孫にやる小遣いを都合するために手放したものだという。
最初、この茶碗を見たときなぜか気になって、値段を聞くと主のお小遣いでは到底手が出なかった。
その後、いつ、その店をのぞいてもこの茶碗が売れずに残っており、何年か経ってから値段を聴いてみると、残していても仕方ないから最初の半値にするという。それでもちょっと高い。しかし、主の目に留まったのも何かの縁と思い、思い切って購入した次第だ。
主は、たとえ、この茶碗がガラクタでも良いと思っている。けっこうおおらかでゆったりしているし使い勝手も悪くない。今まで大事に使われてきたのもわかる。特に、最初、主の目に留まってから4,5年どこにも行かずに残っていたのも何かの縁だと思う。
購入してから20年以上だから、最初に出会ってからは優に25年を超える。道具との出会いは不思議なものだ。
特にめでたい事など何もないけれどまあ、たまにはこれも良いではないか。
石臼のメダカ
工房の入り口に石臼が置いてある。先日、その中に近所の人がメダカを入れてくれた。
この石臼は、親父が怪我をして障害者になってからは、主が高校卒業まで正月の餅を搗いていた石臼である。
石臼で餅を搗かなくなってからは庭先に転がしていたのだが、数年前から工房の脇において水草とメダカを入れていた。
しかし、いつの間にかメダカが消えて水草だけになっていたのを見て、近所の人がメダカを調達してきてくれた。
生まれたばかりの小さなメダカがいくつも泳いでいるのを見るのはいいもんだ。
動き回るメダカの姿すを見ていると心が和む。
この石臼は、いつの間にかひび割れているけれど、まだ十分にメダカの水槽として役に立っている。
底に沈めているのは傷のある備前焼。備前焼を入れておくと、なぜか水か濁らない。備前焼の不思議の一つだ。
周りの田圃は黄金の波。遠くでコンバインの音が聞こえだしたから、そろそろ刈り入れが始まるようだ。
「わたしゃ備前の岡山育ち、米のなる木はまだ知らぬ・・・」
米どころである。
酒盃(ぐい呑 )
秋が深まって、日本酒の季節になった。下戸の主には残念な季節である。しかし、この季節はお茶もまた美味いから良しとしよう。
さて、今夜は酒盃をアップする。酒盃は茶碗を小さくしたものと思えば良いと聴いたことがある。これなら下戸の主にも造れるはずだ。・・・と言うことで落柿窯の酒盃である。
飲み口を残し、胴の下方を鎬いだぐい呑。少し深めだ。高台はないが、茶碗で言うと筒形と言えるのかも知れない。
焼成は豪快な胡麻と濃い緋色だ。
この酒盃もぐい呑みと言った方が良いようだ。形は馬盥形。
高台は付いている。これを大きくすれば完全に茶碗になる。
酒器は下戸には作れないと思っていたけれど、茶碗を小さくすれば良いとなると、主にも造れるかも知れない。造ってみるか・・・。
2009年10月12日 (月)
窯の修理
昨年末の窯焚きで、窯の中で一番火力が強い場所の壁の一部が剥落した。直そうと思いながらもつい横着を決め込んでいたけれど、そろそろ次の窯の準備をしなくてはなら無くなり、今日思い立って修理した。
剥落したのはほんの一部だが、このままにしておくと傷が大きくなる恐れがある。修理は簡単だ。キャスタブルで出来たコンクリートで補修をすれば終わり。アッという間に終わった。
キャスタブルは、耐火性の強いコンクリートだから窯の築窯にも修理にも使われる。今日使った量は、ほんの僅か。
修理した場所はここ。窯の中で最も火力が強い場所だ。レンガの焼け具合を見てもわかるだろう。
20数年使っていると窯も傷んでくる。今までも何度か補修している。
主は、窯を新しく築きかえることは考えていないから、これからも、この窯を大事に使っていくつもりだ。
これが落柿窯の内部。今までも紹介したことがあるけれど、今日、久しぶりに写したからアップした。
2枚で5列の窖窯である。
これを見ても落柿窯が小さな窖窯であることがわかる。
いつも紹介している作品は、この窯から生まれたものだ。
2009年10月11日 (日)
おしめ様
今日は、お宮の掃除のほかに、「おしめ様」と呼ばれる行事があった。村の中央に低い土塀に囲まれた小さな神域がある。そこに祭られている神をお祭りする素朴な行事だ。
言われは知らない。ただ、村に多い氏の家のみが参加するお祭りである。同じ村中に住んでいても別氏の家は除かれるから、本当に小さなコミュニティーの祭りだ。
主が、やっと物心付いた頃は、持ち回りで宿をして飲み食いしていたけれど、今では当番の家に神主を呼んでお祓いするだけになった。
この行事も春、秋の2回行われるから、豊作祈願、氏族の繁栄を願うものであろう。
今日の「おしめ様」でしたお供えのお返しに、主が初めてお目にかかる菓子が付いてきたので、今夜はこの菓子で茶を点てた。
まだ平地では紅葉の時期には早いから、仁清写しの竜田川の茶碗は止めにして、赤楽を使った。
菓子は、初めて味わう「きんつば」。甘みを抑えた上品な味わいであった。
今夜も幸せ気分である。
お宮の掃除
地元の八幡様の秋祭りを一週間後に控えて、今日は、お宮の境内の掃除をした。この八幡様は4ヶ村で守っているから、境内を4分割してそれぞれの村に掃除する区域が割り当てられている。
今日掃除をしたのは、落柿窯のある村の割り当て区域で、朝7時過ぎから村の衆が集まって草刈を中心に行った。他の区域を担当する村の衆も今日が掃除の日になっていたらしくそれぞれ集まって来た。
村のみんなが総出だから約1時間で終わった。
毎年のことだから、それぞれの分担がはっきりしており作業はスムーズだ。
作業の後、おやつ代わりのパンと缶コーヒーの接待を受け解散した。これもいつもの慣わしである。
さて、主の今日の仕事は、お宮の掃除だけでなく片手急須も造った。
素地もだいぶんたまってきたから、そろそろ窯焚きのスケジュールを考えたいところだが、果たして、今、窯を焚いて良いものか。また作品の山を増やすことにならないか迷っている。
昨年末の窯の作品がほとんど手付かずで残っているから悩ましいところだ。
2009年10月10日 (土)
お茶を飲む習慣
今日、歯医者からの帰り道、いつものお茶屋さんに立ち寄って、いつもの茶葉を買ってきた。
このお茶は安くて美味い。主はずっとこの茶葉を使っている。
さて、最近は家庭でも職場でもペットボトル全盛で、急須や宝瓶でお茶を出すことがなくなっているから、時代の流れとはいえ寂しいことである。
主は、朝起きると、まず、いっぱいのお茶を飲む。そうしないと目が覚めない。
かつて、このあたりでは、どこの家でも急須や宝瓶で茶を入れて客をもてなしていた。しかし、今ではそんな家は余り見なくなったように思う。
工房で主がお茶を入れて出すと、みんな「美味い」といってくれるから、日本人がお茶好きであることには変わりないはずだ。
合理化、合理化・・で無駄を省け、無駄を省けという大号令の下、大切なものまで省いてしまったように思われてならない。心のゆとりまで省いてしまったのではないだろうか、と心配になる。
一服のお茶はゆとりである。そこから活力が生まれると思う。
今夜は、京焼の萩絵の茶碗を使った。
タップリとおおらかな茶碗である。主は、この茶碗がおおいに気に入っている。
晴れの特異日
45年前の東京オリンピックの開会式に選ばれたほどだから統計的に見ても晴れることが多い。
今日も朝からすばらしい晴天になった。田圃の稲穂も頭をたれて刈入れを待つばかりである。先日の台風が北からの乾いた空気を呼び込んだのか半袖では肌寒いほどだ。
見上げると青い空がある。なんともすがすがしい。抜けるような青空に白い雲がポッカリ浮かぶ気持ちよい日和だ。
主は、朝一番で昨日抜歯した傷の手当に行ってきた。今日は気分が良いから状態も落ち着いているのだろう。後は肉が盛るのを待ってブリッジをかけることになる。それにしても歯の治療は鬱陶しい。
主は、今日も工房で、宝の山かゴミの山かわからない中から、宝になりそうな湯飲みを掘り出したので紹介しようと思う。
緑かかった濃い緋色の中に強い胡麻がばらばらと張り付いている。
まさしく備前の窖窯でしかなしえない焼成だ。
使っているうちにしっかりなじんでくるから備前は使う楽しみが大きい焼き物である。
咲いては散り、散っては咲くから、木の根元が白い絨毯を敷き詰めたようになる日も近い。
2009年10月 9日 (金)
備前の茶碗
今日、歯を抜いた。以前から調子が悪かった歯ではあるけれど、無くなると不自由である。80歳で20本の歯を残すことが健康管理にも必要であることはよくわかっている。しかし、主には、すでに生きた歯はその半分ほどしか残っていない。後は総入れ歯になる時期をいかに遅らせるかが問題だ。
医者に言わせると、主の健康状態で、いまだに生きていることが奇跡といわれるほどだから、歯が少ないくらい何でもない。ただ、これからもしぶとく生きてやるつもりだ。
毎日、落柿窯の拙い作品をご覧いただいているわけだが、今日もまた茶碗を見ていただこうと思う。
今日の茶碗は、すでに「備前落柿窯作品集」に登載しているものもあるが、この記事では写真の角度を増やしたから良くわかると思う。
碗形の穏やかな形。主の茶碗はこの形が多い。
窖窯特有の胡麻が良く付いている。
高台脇は綺麗な緋色だ。
大振りな胴締め茶碗だ。この茶碗も窖窯特有の焼成である。
高台は土見せになって、そのまま景色にもなっている。まるで花模様の様だ。
窖窯でなければこの焼成は出ない。
この茶碗にも窖窯特有の厚い胡麻が降っている。
高台脇は緋色。高台は白く抜いているけれど、緋襷が広く付いているため土見せの部分は少ない。
落柿窯の主は茶が好きだから茶碗をよく作るけれど、満足できる茶碗はまったく出来ない。
精進あるのみだ。
2009年10月 8日 (木)
台風一過
台風18号は、近畿から東北、北海道にかけての広範囲に大きな被害をもたらして通り過ぎていった。幸いにして、このあたりは、さしたる被害は出ていないけれど、夕方散歩に出てみると、あちこちの田圃に、ミステリーサークルを思わせる風害が出ている。
こんな風害があちらこちらの田圃に見える。まるでミステリーサークルのよう。
たぶん、台風の風が竜巻のように通り過ぎて行ったのだろう。部分的に育ちの弱い稲が被害を受けているようだ。これでは稲刈りが大変だろう。
今日は朝から台風一過の青空が広がって過ごしやすい晴天になった。
これで一気に秋が深まってくれれば嬉しいけれど、予報では、それは望み薄のようで、秋の深まりはもう少し先になるようだ。
抜けるような青空に落柿窯の赤レンガの煙突が映える。
これから先、秋が深まると共に窯の準備にかからねばならない。
今日、窯の周りを整理していたら懐かしい作品が出てきた。
以前、一度このブログで紹介したことがあるかも知れないが、今日見るとやはり懐かしいので紹介することにした。
落柿窯作「備前徳利」。
少し大きめの徳利である。造りはいかにも拙いが、焼成はしっかり酸化焼成になっている。
初窯は、窖窯の大先輩にお世話になった。懐かしく、昨日のように思い出される。
2009年10月 7日 (水)
落柿窯の棚
猛烈な台風18号が近づいている。17時現在、このあたりでは小雨が降っているものの、いまだ台風の気配はない。
今日は、姉が主宰する陶芸教室の日。先ほどまで手伝っていた。さっき、台風に備えて家中の雨戸を閉めたから室内は真っ暗になってしまった。
予報では、台風は紀伊半島方面に向かっている。被害が出ないことを祈りたい。
今日、改めて工房の作品棚を見たら、数え切れない作品が埃を被っている。あ~あ、思わず溜息が出てしまった。
やけくそで写真を撮ったので、やけくそでアップすることにする。
台風のような強い不景気風が吹き荒れる落柿窯の棚で、作品たちが身を寄せ合って耐え忍んでいる風景は寂しい。
2009年10月 6日 (火)
2009年10月 5日 (月)
福田路子さんの器(再び)
今までにも「食卓の備前焼」を主宰する福田路子さんの器を何度か紹介してきたが、今日、アトリエに立ち寄ってみたら今まで焼き貯めている作品を整理しているところだった。
先日、倉敷中央画廊で開催された「女流展」も盛況であったようだが、アトリエに行くと素敵な作品が所狭しと置かれている。その様子を、許可を得て何枚かの写真に撮ってきたので見て欲しい。
福田さんの器は、料理好きの主婦が作るだけあっていずれも実用的であり、なおかつ素敵なものが多い。
料理のイメージが膨らむ器である。
コメントなしで福田路子さんの「器ワールド」を楽しんで欲しいと思う。
これらの作品の中で欲しい器があれば、直接、福田さんのブログにコメントを入れるか、ホームページにアクセスして注文できるからよろしくお願いする。
それにしても、これらの器は今までの備前焼のイメージを覆す価格で手に入れることが出来る。主が心配するほどだから余程のことだ。
2009年10月 4日 (日)
十六夜の月ー今日が満月
昨夜の中秋の名月は、右肩が少し欠けていたけれど、実は、十六夜の今日が満月なのだ。
昨夜も十分月を愛でたが、今夜はまったく雲が無く、凛と澄み切った月が昇っていく。あたかも、昨日聞いた阪本清香さんのソプラノの歌声に似て清々しい。
主は、昨夜の月見団子の残りをかじりながら、十六夜の月を愛でているところである。
それにしても、日本人の月好きはたいしたものだ。中秋の名月に始まり十六夜の月、立待ち月、居待ち月、寝待ち月と続く。少しずつ欠けていく月に美意識と哀愁を感じる日本人ならではであろう。
日本人の美意識の中には必ず「雪・月・花」が出てくる。
以前、ある著名な写真家が書いていたが、ヒマラヤの山脈を写しても、日本人が写した写真には必ずといって良いほど月が入っているという。蓋し当然といえよう。
そこで、落柿窯にも何かないかと探したら、昨年もアップした満月の壷があったので、今年も再度登場させることにした。
壷の腹に出たまん丸な窯変があたかも満月のようである。
これも正真正銘の備前焼だから備前は面白い。
遊び心がいっぱいの「やきもの」といっても良いと思う。
2009年10月 3日 (土)
中秋の名月ー月見団子と阪本清香さんの話
今夜は「中秋の名月」。夕方、にわかに曇ってきたので心配したが、今は東の空に美しい月が輝いている。
昨日のブログで月見団子を話題にしたが、今日、地元の和菓子屋さんに行ってみたら、なんとこのお店で製造販売していた月見団子は串団子状だった。
これが地元の月見団子。いろんな味が楽しめるように工夫してあるようだ。
イメージの月見団子とは違うけれど、ミカンと柿を添えて名月に供えた。
今日は中秋の名月ということで、和菓子屋さんではススキの穂を来店客に配っていたので自作の鶴首に入れて飾った。
それにしても串団子状の月見団子とは驚きだ。
さて、今日から「おかやま国際音楽祭」がオープンした。そのオープニングのコンサートで、先日紹介した「阪本清香」さんが歌うというので聞きに行ってきた。一緒に出演したのは「心花」と地元の朝日塾小学校のコーラス部。
阪本清香さんの生歌はすばらしかった。新しい歌姫の誕生である。
秋の澄み切った青空のようにどこまでも抜ける美しい高音、名月のように凛とした歌声にしびれた。ネットで聴いた歌声とは違い、明らかに進化しているのがわかる。まだまだ若い阪本清香さんがどこまで伸びるか、また一つ楽しみが増えた。
今回の帰国は、この音楽祭のためだというから、近々イタリアに帰るようだ。今度生歌が聴けるのはいつになるかわからない。早くCDを出して欲しいと思う。
それにしても、岡山県出身のオペラ歌手の誕生は嬉しい限りである。
本場イタリアで大成して欲しい。
2009年10月 2日 (金)
備前菓子器
今日も朝から雨。明日は晴れが戻るようだ。
その、明日、10月3日は旧暦の8月15日、いわゆる「中秋の名月」である。
明日の晴れを期待しながら、月見団子を盛る菓子器を探したら、展示室に綺麗に焼けた菓子器があった。
窖窯特有の胡麻とすっきりした丸い抜けが良く出ている。
抜けがまん丸だから満月のようで、月見団子を盛るのにひったりだ。特に、緋襷が付いた抜けは月に掛かる群雲のようでもあり、一層趣きを増している。月が2つあるが、一つは水面に映る月ということにしておこう。
裏には、抜けた部分に強い緋襷が付いているのを見ると、重ね焼きしたものと見える。この菓子器は「備前落柿窯作品集」に登載しているはずだ。
月見団子は、関東と関西で形がちがう。関東はまん丸の餅だけど、関西は楕円の餅に餡が巻いてある。このあたりはどうだったかな?。
明日、早速、お菓子屋さんをのぞいてみよう。
2009年10月 1日 (木)
秋雨の晴れ間
今日は朝から青空が広がった。気温も高い。昨日の気温に比べると5度前後高いから汗ばむ一日であった。明日から、また雨になる予報だから貴重な晴れ間だ。
そんな中を、昨夜お願いした割り木が運ばれてきた。小割を少し買い足しただけだから、今日は軽トラックで十分だった。
今日から10月。後ひと月もすれば窯詰めが始まる。頭の中で窯詰めのシミュレーションをしながら、組み合わせで足りないものを造っている。
今日は、被せ用の建水と抜けのための小皿を挽いた。頭の中で少しずつイメージが出来上がっていく。毎回同じように繰り返される頭の体操だ。面白くはないが、窯詰めが焼成に与える影響が極めて大きいからどうしても必要な作業。ちょっと疲れる。
今日の写真は、マグカップを選んだ。
背が高めのカップだ。
窖窯特有の緋色が暖かい。これからの季節、温かいコーヒーが美味いからタップリと入れて月でも愛でながら二人で楽しんで欲しいと思う。
2009年9月30日 (水)
今日は雨
今朝目覚めると雨が降っていた。昨日の祈りが届いたのだろう。これで野菜が救われる。
雨のやみ間に畑に出てみたら、昨日より一回り成長したように見える。これで一安心だ。
今日は、姉が主宰する絵手紙教室の日。いつものメンバーが集まった。午前中、陶芸、午後から2時間ほどの絵手紙。工房を明け渡した主はのんびりと見学である。
早いもので、今日で退職して半年が過ぎたことになる。この期間は思った以上に早く過ぎたように感じられる。
冥土に向かう行程は止めようがないけれど、出来ればゆっくりと行きたいものだ。
そんなこんなで今日も終わった。今夜も展示場にあった皿をアップする。
サイズは15センチほど。高さは3センチに足りない。
窖窯の特徴が良く出た皿である。
大きさから言えば、コーヒーカップのソーサーほどだから、時には銘々皿として使うことも出来る。
工房脇の草むらで名前のわからない野草の花が咲いている。ほんの数ミリほどの星のように見える花だ。
図鑑で調べてみると「アカネ」のようにも思えるが、正しい名前を知りたい。
2009年9月29日 (火)
茶碗
茶碗を見ると造った人が見えるようだ。作者の思い、美意識、技量、人間性等々・・・。だから茶碗制作は難しい。考えれば切がないし、考えれば考えるほど造れなくなるのが茶碗である。
茶碗は作者そのもの。名品として伝承されている茶碗の多くが人に感動を与える所以はそこにある。
主が造る茶碗は、名品とは程遠い彼方にあるけれど、作者そのものであることに変わりはない。
意識して、どんなに形を変えてみても主が造った茶碗は一目瞭然でわかる。主の茶碗は主そのものであることの証であろう。
見込みには、全体に厚い胡麻が溶けて、あたかも故意に釉薬を施したように見える。しかし、これば備前焼、すべて自然釉(胡麻)である。
高台は比較的薄い。土見せのため土の様子が良くわかる。それにしても、いつ見ても主の高台は拙い。
この茶碗は、確か「備前落柿窯作品集」にも載せていたように思う。
秋雨前線
太平洋岸に伸びる秋雨前線の影響で今日も鬱陶しい天気だが、思ったほど雨は降ってくれない。どうせ鬱陶しい天気が続くなら畑のために雨よ降れ降れと言いたくなる。
しかし、ほんのぱらぱら雨でも無いよりはましで、畑の野菜が次第に大きくなって来た。
今日、初めて水菜とチンゲンサイを間引きをかねて収穫した。
採りたての水菜とチンゲンサイ。文字通りの若菜である。早速今夜の食卓に乗せた。
筋蒔きしているからどんどん間引いていかねばならない。もう、野菜は買わなくて良さそうだ。
秋は駆け足でやってくる。気がつけば明日で9月も終わり。この前線が行ってしまうと本格的な秋が来る。
曇り空の下、今日も散歩の途中で近所のワンちゃんに出会った。いつも散歩の最後を付き合ってくれる。
主の足音を聞き分けることが出来るようで、遠くからでも一目散に駆けてくる。
さて、今日の主は、昨日の大皿を仕上げただけ。仕事は、ほとんどはかどっていない。仕方ないから、今日もその辺に置いてある作品を紹介するしかない。
胡麻が見事に降っている。窖窯特有の濃い緋色が出ている。
サイズは3寸ほど。小さな多用鉢として使えば重宝すると思う。
見込みの中央部は抜けの中に緋襷が付いている。
裏底はベタ高台だから安定も良い。
2009年9月28日 (月)
阪本清香さんの歌声
昨夜、岡山出身のオペラ歌手「阪本清香」さんの歌声をネットを通して始めて聴いた。すばらしいの一言。ソプラノのどこまでも抜けるような歌声に魅了された。まるで澄み切った秋の青空のようである。
それもそのはずで、2008年4月イタリア・ミラノで開催された「オペラ・イン・カント国際コンクール」で第一位入賞の実力者なのだ。
このたびは、10月3日から開催される「岡山音楽祭」のオープニングを飾るために招聘されて一時帰国されている。
阪本清香さんの生の歌声を聞きたい人は10月3日のオープニングに参加していただきたいと思う。
阪本清香さんは、主が親しくしている若い女流陶芸家阪本結香さんのお姉さんでもある。
以前からイタリアで活躍しておられるのは聴いていたけれど、正直、こんなにすばらしい歌手とは思っていなかった。不覚であった。近いうちにCDを出されるというから期待している。
今日は一日鬱陶しい天気だった。こんな日は気分もすっきりしない。それでも工房で轆轤を回して、久しぶりに大皿を挽いた。
大皿ばかり作ってもまったく出て行かないから張り合いがない。しかし、主はなぜか大皿だ好きで、つい造ってしまう。
6センチ×6センチほどの酒盃。美味い日本酒が似合うはずだ。
この面は火裏である。
この酒盃は、器の中に寝かせて焼成しているから少し歪みがある。そこがまた面白い。
2009年9月27日 (日)
お日待
今日は、主が住む村の恒例のお日待祭があった。小さな村落がそれぞれに工夫を凝らして細々と伝統を継承している。しかし、高齢化の波には勝てず、近い将来、この行事も終焉を迎える運命にある。
お日待祭は、村の平穏と五穀豊穣を太陽神(天照大神)に祈願する伝統行事。農耕民族ならではの祭りだ。
村人が地域の神社に集い、祝詞をあげる。神社に向かう途中、昨年も紹介したお地蔵さんに出会った。
相当歴史がありそうだ。この田圃の所有者が大事にお祭りしているのだろう。
快晴の青空にコスモスは良く似合う。
本殿の裏に楠の大木。拝殿の前に銀杏の大木。
これで、今年も豊作間違いなしだろう。
数日前からいろいろ行事があって余り仕事が出来ていないから新しい制作の紹介は出来ない。今日も落柿窯の作品を紹介することにした。
サイズは35センチ。このサイズで家庭の食器棚にいっぱいだと思う。これ以上デカイと保管が容易ではない。
窖窯特有の焼成が良くわかる一品だ。緋色と抜けのコントラストが良く出ている。
緋襷も十分。
見込みは、中央の抜けの部分に緋襷、周辺部には窖窯特有の胡麻が降っている。
落柿窯の展示室には、こんな作品が宝探しのように埋もれているから、興味のある方は、宝を探しにおいでいただきたいものだ。
2009年9月26日 (土)
お葬式
今朝から村のお葬式の手伝い。最近は、葬儀場ですることが多いけれど、たとえそうであっても、この村では、村人みんなで手分けしてお手伝いする習慣が残されている。
かつては、自宅で弔いをしていたからお手伝いが大変であったが、今日のお葬式も葬儀場でされたから余り手が掛かることも無く無事終えた。ただ、開式が朝10時だったから受付や賄いの担当者は早くから集まった。
午後には帰宅して一息ついたけれど、お葬式のお手伝いは思いのほか疲れるものだ。
今日も暑さが厳しい日だった。夕方、散歩に出ると田圃の畦道のあちこちでコスモスが盛りを迎えている。
コスモスの群落はすばらしいけれど、こうして畦道に咲くコスモスも清楚で良いものだ。
白い色、ピンク、濃い赤・・・等、いろいろな色が混ざっているから余計綺麗なのだろう。
今日の備前焼は、すでに「備前落柿窯作品集」に登載している大皿。今までにも記事にしたことがあるかもしれないが、お許し願いたい。
サイズは42センチある。こんな大きな皿は普通の家庭では邪魔になる。鍋の具材や寿司を大人数分盛るくらいしか使えないし、保管も難しい。
しかし、大皿はいつ見ても魅力的だ。
2009年9月25日 (金)
癒しの空間
落柿窯の主にとって癒しの空間は山の頂が一番であるけれど、体力が衰えた今、好きな山の頂に立つことが出来ない。
それでは、平地ではというと、禅寺の庭ということになるが、これも出歩くことがほとんど無くなった主には、常に・・・というわけにはいかない。
手っ取り早く癒しの空間に逃げ込むには、落柿窯の茶室が一番だ。ここなら外に出て行くこともない。
そんなわけで、主にとっての癒しの空間は、我が家の茶室ということになる。
僅か二畳の空間しかないけれど、好きな茶を点てゆっくりとくつろぎ、時には寝転がって風の音を聴く。そのまま寝てしまうこともある。
茶室と言っても、主にはさほど神聖な場所ではない。ただ、くつろぎの空間に過ぎない。
この茶室には電気設備はないから、夜の明かりはローソクか行灯。時に差し込む月明かりが一層趣を添えてくれる。
木の匂い、土壁の匂い、炭の匂い、それらを消してくれる香の香り。みな癒しだ。
狭い空間が思いのほか広がりを持っている。
2009年9月24日 (木)
日本のエーゲ海
今日は、落柿窯に珍しい訪問者があったので、海辺の町にあるいつものお店に案内した。今日は快晴の日和。ここは日本のエーゲ海というだけあって秋の海が美しい。
海辺に建つ白いホテル。このホテルは、ヨットやクルーザーが横付けできるように設計されている。
青空と青い海の境界がわからない程の快晴だ。大型ヨットが浮かぶのどかな風景に癒される。
遠くに霞んで見える山脈は小豆島。ここからまっすぐ船で行くと1時間ほどのようだ。
新鮮な魚と最高のロケーションにはいつも満足できる。
落柿窯に帰って、今日の記念に轆轤を回して湯飲みを挽いた。轆轤は初体験のよう。主が少し手伝って何とか形になった。
胴に入れた陶印が豪快である。
仕上げは主に託された。
2009年9月23日 (水)
砧と旅枕
今日のタイトルだけを見ると何のことかわからない方が多いと思う。このタイトルを見てピンと来る人は相当な備前通だと思う。
それもそのはずで、今日のタイトルは備前焼で昔から作られて来た花生けの形なのだ。
「砧花生」は布を打って柔らかくする道具に似せた花生け。また、「旅枕花生け」は昔、旅に持参した枕を模した花生けである。
この形は、いづれもシンプルで花を活けやすい。その上、味わいも深い。
焼成は酸化、または還元で味わいが変わるからどのように焼くかは作家の考え一つだ。
主は、還元焼成したいと思う。
昨夜の雨は畑にとって丁度良い潤いだった。秋野菜は、ほとんど芽を出したし、白菜とブロッコリーの苗は元気だ。
もう一つ、ここに来てゴーヤが勢いづいている。
夏のカラカラ天気で弱りきっていた木が潤いを得て元気になった。いくつかの収穫も出来ている。
花がまだまだ咲き続けているから、しばらくは収穫が望めそうだ。
2009年9月22日 (火)
嬉しい雨
夕方から雨になった。水まきほどの雨ではあるが、乾いた畑には嬉しい湿りだ。
今年は季節が暦どおりに進んでいる。明日の秋分の日を前に気候は涼しさを増しているし、季節の花はその通り咲いている。彼岸花は、彼岸を待たず盛りを過ぎたようにも思えるほどだ。
昨年もここの彼岸花をアップした記憶がある。
このところ冷茶やアイスコーヒーより熱い緑茶やホットコーヒーが恋しくなった。
落柿窯の展示室には出番を待つカップが並んでいる。今日は、その中からちょっと変わったコーヒーカップを2つ紹介したいと思う。
デミタスカップとして造ったもの。完全酸化焼成で赤い緋襷がポイントだ。
ソーサーとして木製の茶托を使っている。硬いイメージの備前焼が少しは柔らかくなるからお勧めである。
少し固めのイメージのカップ。穏やかな曲線のカップが多いけれど、櫛目を使ってあえて直線を強調した。
これもソーサーは木製の茶托だ。
もう一方から見ると強く焼けている様子が分かる。焼成に裏と表が出るのが窖窯の特徴だから、このカップは一目で窖窯焼成だと分かる。
いろんなカップを揃えて、気分によってカップを選ぶ楽しみを味わって欲しいと思う。
今日は、彼岸のお参りがあったからほとんど仕事をしていない。ただ、底が抜けた徳利でちょっと遊んでみた。
たまにはこんな遊びもあって良い。
2009年9月21日 (月)
踊る花生
花生けは難しい。花を生かすものでなければならぬし、心和むものでもなければならない。花生けに緊張を強いられるのはお断り願いたい。
主は、花が好きだから花生けを良く作るが満足できるものはない。今まで造ってきた花生けは、それなりには仕上がっているけれど、主が師と仰ぐ作家さんのように轆轤が挽けていない。
しかし、時には面白い物も出来る。今日はそんな花生けを紹介することにした。
写真が下手だからお許し願いたいが、焼成は、表が白胡麻、裏は備前特有の色合いの片身代わりだ。
この花生けの特徴は、なんと言ってもその耳にある。この耳のおかげで花生けが踊っているように見える。
こちらが裏側。耳をつけるだけで花生けの表情が変わるのも面白い。まるで、お下げ髪の子が踊っているようだ。
花生けのポイントは耳とヘラ目だといわれるが、蓋し名言である。
2009年9月20日 (日)
やきもん屋の仕事
今日も快晴。連休に入って良い天気が続いている。また畑が乾いてきた。晴天は嬉しいが、野菜にとっては少し湿りが欲しいところだ。
やきもん屋の日々の仕事はどんなものか知らない人が多いと思うけれど、一口で言ってやきもん屋の仕事は肉体労働である。
毎日毎日轆轤を回して作品を作っているイメージが強いだろうが、実際にはそれ以外の仕事がほとんどだ。
土造りに始まって、窯掃除、棚板磨き、窯詰め、窯焚き、窯出し、作品磨き、販売、発送・・・等、なんでもしなければならない。それが備前焼作家の仕事である。
主は、今日、棚板にアルミナを塗った。棚板は窯焚きによって痛みが出る。そのため、窯出しの後、アルミナでコーティングする必要がある。
主は、前回の窯出し後、横着して今までこの作業を放っておいた。しかし、晩秋の窯焚きが近くなり、どうしてもこの仕事を終えねばならないから、今日済ますことにした次第である。
台の上に置いて両面を刷毛で丁寧に塗る。ネバ過ぎると塗りにくいし、水が多いと上手くコーティングできない。いい加減が難しい。
午後から50枚ほど塗ったらけっこう疲れた。棚板は思いのほか重いから腕にも腰にもくるね。
落柿窯は小さな窖窯だからこの程度の枚数だけれど、大きな窯になると百枚単位になるから大変だろう。
これより先、午前中は昨日挽いた葉茶壷を仕上げた。
今は葉茶壷を使うことは一般的にはないけれど、花を活ける壷として使えばお洒落だと思う。
上手く焼けると良いが・・・。
2009年9月19日 (土)
案山子
このあたりでは、このところ案山子の姿を見ることがない。これから稲穂が実りだすとすずめが集まってくるから農家の人は雀の脅しをいろいろ工夫している。
主が子供の頃には、このあたりでもまだ案山子が見られたけれど、今やその姿は無くなった。変わって、キラキラ光るテープを張ったり、CD をつるしたりする田圃が目立つ。今日、散歩の途中、ガスで大きな音を出す装置を置いている田圃もあった。極めつけはこの写真。見ていただこう。
マネキンの頭部を立ててあった。余りにリアルで怖い。薄暗くなった頃見ると一瞬足が止まる。これでは雀よりも人のほうが驚いて逃げそうだ。
昔の案山子は、いかにもユーモラスであった。マネキンの頭部には、どう見てもユーモラスなところはない。
時代が変わると案山子まで変わってしまう。なんだか寂しくなった。
先日蒔いた秋野菜が芽を出してくれた。
今年は、タイミングよく種まきが出来たから上手く芽が出たようだ。
草も一緒に芽を出しているが仕方ない。
今年は不作だったけれど、まだ少しは収穫できそうだから当分このまま置いておくことにした。
今日は、抜けるような青空。少し強い北風が心地よい。もうほとんど汗をかかなくなった。
今が一番良い季節。
「秋は夕暮れ・・・」が一番の季節というだけあって夕焼けが綺麗だ。
散歩の帰り、夕焼けに行き会った。村の大師堂の法輪がシルエットで浮かぶ様も趣き深い。
今日の主は、彼岸前の墓掃除に行ったりしたから、仕事は、壷を一つ挽いただけだ。
仕事は、遅々としてはかどらないけれど、毎日少しずつ前に進んでいるから良しとしよう。
ちなみに、この壷は耳をつけて葉茶壷にしたいと思っている。
サイズは小さめだ。
2009年9月18日 (金)
プロの陶芸家
40年も前卒業した大学の同窓名鑑を出版する会社から、同窓名鑑を造るための個人情報を求められた。この職業欄に何と書くか・・・、ちょっと迷っている。
退職しているから無職か、それとも畑仕事をしているから農業か、いや、退職後に備前焼の制作を業とすることを宣言したから陶芸家か・・・。
職業はその道のプロであることを意味する。プロである以上、それで食っていくことを意味するけれど、今の主は、農業でも陶芸でも食ってはいけない。収入は、雀の涙ほどの年金のみ。
広辞苑によれば、プロフェッショナルとは「専門的、職業的」、または、「専門家、職業としてそれを行う人」とある。
今、主が専門的といえるのは陶芸しかないから、収入は別にして、職業はやはり「陶芸家」がいいのかも知れない。
さて、今日は薄雲が広がる天気だった。おかげで残暑も無く過ごしやすい日になった。そんな日の仕事は、昨日挽いた壷の仕上げ。
二畳の茶席の小さな床に置いても良い大きさで、花が活けられるように首をつけた。
主が挽く壷は、技量がない所為もあるが、さほど大きなものはない。なぜか茶室の床に合う大きさばかりである。
2009年9月17日 (木)
小さな水屋甕
茶室の水屋には、普通、水屋甕が置かれている。その中は美味い清水で満たされているはずだ。しかし、今ではどこでも上水道が整備され、茶室の水屋にも水屋甕を置く必要が無くなった。コックを捻るだけでいつでも清浄な水が得られる。
今でも水屋甕を置いているとしたら、水にこだわっている人か、または茶室に水道を引いていない人かのどちらかであろう。
落柿窯の茶室は、もともと井戸を利用して清浄な水を得ることにしていたから水道工事をしなかった。
その、あてにしていた井戸の水が使えない事態になってしまった。今さら水道工事をするわけにもいかず、仕方なく自前で小さな水屋甕を作った。
落柿窯の茶室は、二畳の茶席と一畳の次の間、それに一畳に満たない水屋で構成されたごく小さな空間だから、水屋甕も普通のサイズでは大きすぎて置く場所がない。そのため、小さな甕にした。
それでも数回の点前には十分な水か確保できる大きさがあるから何も不自由なことはない。
この甕に、近くで湧出いている山水を汲んできたり、名水を汲んできたりしているけれど、緊急のときは、我が家に備えてあるイオン制水器で作り出したアルカリイオン水を入れて使う。
水道の水は清潔で安心だが、あのカルキの匂いは茶の味を損なうから我が家では使うことはない。
このところの急激な秋の深まりの中、エアコン設備のない落柿窯の茶室でもそろそろ茶が楽しめそうだから、茶室の戸を開けようと思う。
この茶室は電気も水道もない。
時が止まったような空間である。
2009年9月16日 (水)
2009年9月15日 (火)
野菜の苗
今朝も雨。先日の雨に加えて、今日の雨で畑は十分に潤った。乾きかけていた土が黒々として気持ちよい。
今日は、近くのホームセンターで野菜の苗を追加購入してきた。先日、秋野菜の種を蒔いた時、いくつかの苗を植えていたけれど、それに足して植えた。
結局、白菜15本、ブロッコリー10本、それにネギを40数株。
種蒔きした野菜を加えると一人暮らしの主には多すぎるけれど、出来過ぎたら知人に差し上げればよい。
これで秋から冬にかけての野菜には不自由しない。
今日は野菜の苗を植えた後、ワインクーラーになる水屋甕風の壷を挽いた。
昨日紹介したワインクーラーより少し口を広くした。明日は、水屋甕をまねて耳を付けようと思っている。
今日は寒いほどの曇りだったが、明日は晴天が戻るらしい。
2009年9月14日 (月)
彼岸花
田圃の畦道に彼岸花が目立ちだした。毎年、彼岸が近くなると急に茎が伸びて真っ赤な花を咲かす。
子供の頃、このを花を両手に余るほど摘んでは水槽に入れていた。球根には毒があるけれど、サツマイモが入ってくるまではこの球根が飢饉の時の非常食になっていたというから驚きである。そのため田圃の畦には多く植えられているのだそうな・・・。
それはともかく、彼岸花は秋の訪れを告げる花である。
草むらで咲く彼岸花。食用になるまでには相当な犠牲者も出ただろうに、生きるために死を覚悟して食用にした先人には頭が下がる。
彼岸花の呼び名は、「狐のかんざし」とも「死人花」とも「曼珠沙華」とも呼ばれ、なぜか余り印象がよくない。 しかし、主はこの花が好きだ。
主の年代では、山口百恵の歌が聞こえてきそうに思える懐かしさがある。
その昔、コスモスの花びらで「恋占い」をした人も多かろう
さて、花の話題はこれくらいにして、今夜はちょっと変わった作品を紹介したい。
焼酎サーバーは、一時ブームになったけれど、ワインクーラーは余り見ることがない。
しかし、この中にタップリの氷を入れ、ワインボトルを静かに寝かすとまことに良く似合う。
赤ワインは常温だからクーラーは要らないが、白ワインは冷やしたほうが断然美味い。
良く冷えたワインを良く冷やした備前のワイングラスに注いで、備前尽くしで味わって欲しいと思う。
備前は楽しい。
展覧会の季節
秋になると、あちらこちらの画廊や美術館で展覧会が開かれる。今も岡山県立美術館で「岡山県美術展覧会」が開催されている最中だ。
今夜は、主とかかわりのある作家の展覧会を紹介したい。
まず、9月15日から倉敷中央画廊で開催される女流展。
この展覧会には、主が一押しの女流作家の福田路子さんと泉裕理さんが参加しているかtら、二人の作品を見たい人はぜひ足を運んで欲しい。
この二人の作品は数が少ないから一般ではほとんど見る機会がないはずだ。
DMの出来がイマイチだから、この写真では二人の作品が分からないから、実際、会場に行って見るしかないと思う。
見て損はないはずだ。
次は、備前の若手でもずば抜けている渡邊琢磨君の個展だ。
彼の陶暦には目を見張るものがある。ぜひ、見に行って欲しいと思う。
DMの写真を見ても分かるように新しい感覚の作品が並ぶはずだ。しかし、伝統的作品も見ることが出来ると思う。特に、彼の酒器は特筆ものだ。
新しい備前と伝統の備前の融合を楽しんでもらいたい。
こんな機会を見逃す手はない。
2009年9月13日 (日)
野の花
今日は、天気予報の通り晴れ間が広がった。体はまた痛いけれど昨日ほどではないから、今日は轆轤を回した。
今日の仕事は「湯呑み」挽き。
差し板一枚分を挽いたところで轆轤を止めた。まだ腰の状態がよろしくない。無理をしても仕方がない。こんな時はのんびりやるに限る。
少しずつ窯詰めのイメージを膨らませながら必要な小物を作っているところだ。
晩秋の窯焚きを予定しているからそれに合わせれば良い。
夕方、日課になった散歩の途中、見たことのない花に出会った。名前が分からないので、ご存知の方があれば教えていただきたい。
一見、「大文字草」のようにも見える。田圃の畦に群れて咲いていた。
今まで、この季節にゆっくり散歩などしたことがないから気づかなかったのだろう。
この季節は、彼岸花の真っ赤な色に目を奪われて草むらで咲く可憐な花が見えなかったものと思う。
散歩を始めて自然に触れ合うことか多くなったのは嬉しいことである。
2009年9月12日 (土)
恵の雨
朝から一日降り続いた雨が上がった。今回の雨は豪雨になることも無く、まさに恵の雨になった。畑も庭も十分に潤ったように思う。これだけの水遣りを人の手でやるとなると大変なことだ。改めて自然の偉大さには敬服する。
今日は雨降りを良いことに一日中ごろごろしていた。昨日、一気に終えた種蒔きが応えたらしく体中が痛い。特に腰痛がひどい。
歳を考えずに動くからいつもこうなる。馬鹿な主には学習能力がないようだ。猿以下か・・・?、反省しきりである。
明日は秋晴れが戻るようだから元気も出るだろう。
さて、落柿窯では、工房にも展示室にも母屋にもデビューを待つ作品たちが無造作に置いてある。今日は、その中の一部を紹介してみたい。
けっこう焼けが良いから将来のメジャーデビュー(?)のために置いてある・・・ということでもないが、お嫁に行けないことだけは確かだ。
2009年9月11日 (金)
雨を待つ
雨が降らない。8月初め。山口県防府地方、兵庫県作用地方に被害をもたらした豪雨以来、ほぼ、ひと月の間雨らしい雨がない。
天気予報では、明日の朝から久しぶりに本格的な雨になるという。この予報を信じて、今朝から、カラカラに乾いた畑に秋野菜の種を蒔いた。
ダイコン、小蕪、ラディッシュ、水菜、ホウレンソウ、菊菜、それにチンゲンサイ。この種類はいつもの通りだ。種まきの後、ネギも植えた。雨の後には、白菜、ブロッコリーの苗を追加することにしている。
明日、雨になることを祈っていたいと思う。もしも雨が降らなければ水遣りが大変ことになる。雨雨降れ降れ・・・。
今日は、馴れない種まきで腰に来た。腰をかがめての種まきの姿勢はけっこうきつい。農作業の後、疲れてしまい夕方まで寝ていたから陶芸の仕事は休んだが、話題がないと寂しいから、今夜も作品を一つアップする。
サイズは38センチ、上がりは7センチ。
皿の縁を少し厚めにしているから胡麻が十分に乗っている。
中央の抜けの部分がほのかに赤い。
この皿に何を盛ろうか・・・。瀬戸内の美味い魚をたっぷりも良いし、鍋の具材を盛るのも良かろう。
2009年9月10日 (木)
影法師
爽やかな晴天が続いている。ずっと雨が降っていないから庭の草木が枯れ始めた。畑もカラカラだから、次の農作業の段取りが付かないでいる。
唯一の希望は、今日の天気予報で土曜日に小さな傘マークが付いたことだ。それを信じて秋野菜の種を準備しようと思う。
このところ、日の入りがずいぶん早くなった。散歩も早めに出なければならなくなった。歩き始めは影法師をお供に歩いているが、いつの間にか夕日が沈んでしまって、あたりが薄暗くなってしまう。夕日と競争しながらの散歩が続いている。
歩き始めの長く伸びた影法師。そのうち、主一人急ぎ足になっている。
今日もぐい呑みを造った。いくら苦手な酒器でも窖窯を詰めるにはどうしても小物が必要だから仕方ない。30個ほど出来たけれど、もう少し必要だ。
さて、今日は昨日に続いて大皿を紹介しようと思う。ただし、この大皿はすでに「備前落柿窯作品集」に入っているから見たことがあると思うが、お許し願いたい。
サイズは40センチある。上がりは6センチ程だからほとんど平皿である。
この皿の特徴は、なんと言っても偶然現れた海老紋の緋襷。こんな緋襷が出るとは予想外。備前は面白い。
2009年9月 9日 (水)
重陽の節句
今日、9月9日は「重陽の節句」。中国では奇数が良い数字とされ、中でも9が一番良い数字とされる。この9が重なる9月9日を重陽の節句として祝う慣わしだ。
重陽の節句は「菊の節句」とも言われ、本来、菊が咲き誇る頃なのだが、新暦になってからは、この時期にはまだ菊は咲かない。旧暦だと新暦の10月終わりの頃だから、稲の刈り入れ終わり、菊も咲いているから、その時期にお祝いするのが本来だと思う。新暦は何かにつけて東洋的ではないようだ。
今日は重陽の節句ということで祝いの茶を点てた。酒好きが何かにつけて酒を飲むように、お茶好きは何かにつけて茶を点てる。・・・いやいや、何かにつけて都合よく解釈するのはいずこも同じということだ。
今夜は、お祝いだから新しい茶の封を開けた。茶名は「香雲の昔」。表示には「今日庵鵬雲斎宗匠御好」とあるから、たぶん、そうなのであろう。
このお茶は京都宇治田原の矢野園さんだ。いつも親しんでいる「松昔」とは少し違うが、これはこれで良い。
さて、今日は、いつもの通院の日だったから仕事はしていない。病院では検査、検査で時間が掛かったけれど、結果は以前と変化なしで一安心である。もうしばらく元気でいられそうだ。
そんなこんなで、今日は一日終わった。今夜は、最後に落柿窯の大鉢を紹介しておきたい。
サイズは38センチ×10センチ。
窖窯特有の胡麻と緋襷が良く出ている。
さてさて、この鉢を何にどのように使うか悩むところである。
2009年9月 8日 (火)
秋、秋、秋
今日は、急に涼しくなった。北風が心地よく吹き抜けていく。夕方の散歩もさほどの汗もかかなかった。本格的な秋になったのだろう。
夕暮れも早くなった。今年は、秋分の日を待たずに涼しくなってくれたのは嬉しいが、雨が降らないのは困りものだ。
いつから降っていないのか忘れるほど雨がない。畑に秋野菜の種を蒔きたいが、こんなにカラカラだときっと芽が出ないだろう。一雨欲しい。
さて、先日、窯を焚いた知人が、窯の隅に入れてくれた小さなカップが出てきたので紹介したい。
酸化焼成だから濃い緋色が出ている。緋襷は赤黒い。
このカップも使い方次第で用途が広がる。卵を乗せても面白いし爪楊枝を立てても楽しい。
備前は用途にとらわれない自由度が魅力の一つである。
主の今日の仕事はぐい呑み。
このところ湿度が低く乾燥しているから、午前中に挽いたものが午後にはもう削れる。仕事の効率がよいのはありがたいが、ちょっと油断すると仕上げが出来なくなるから注意注意。
2009年9月 7日 (月)
白露ー季節が変わる
今日は白露。快晴の青空が高い。残暑は厳しいけれど朝、晩の涼しさは紛れも無く秋だ。天気予報では、明日からぐっと秋めいてくるというから、白露は季節の変わり目でもある。
出揃った田圃の稲穂が花をつけている。当分、列島に来る台風はなさそうだから何よりだ。
このところ畑の準備に目が向いていたので陶芸の仕事は休みがちだったが、今日は久しぶりに轆轤を回して大き目のカップを挽いた。
焼酎用の大き目のカップの要望があったから作ってみたけれど、下戸の主はイメージが湧かない。
若い頃の思い出をたどってみると、グラスに丸い氷を入れバーボンを注いでいたカップがあったのを思い出した。こんなイメージだったと思う。
やはり、主に酒器はつくれないなあ。酒器は酒飲みに任せた方が良さそうだ。。
2009年9月 6日 (日)
阪本結香さんの器
今日、備前焼女流作家「坂本結香」さんの器を見た。彼女は本格デビューを待つ新人の作家だ。
今までもいくつかの小さな作品は見ていたが、今回の作品は、坂本さんが食器作家として何時世に出てもおかしくない出来である。
4寸ほどの皿だ。焼成は明るい酸化焼成。
土味も良い。緋襷も良い。皿のデザインも一味違う。大阪芸大で陶芸の基礎を学んだ成果であろう。
主は、今まで備前の女流作家がなかなか世に認められないことをおおいに嘆いていた一人だが、ここに来て福田路子、泉裕理に続いて3人目の女流らしい女流が出てきたことを嬉しく思う。
主は常々、備前の女流作家は、男性作家とは違う土俵で勝負して欲しいと思っている。
もうすぐ倉敷中央画廊で第二回女流展が始まるが(9,15~9,27)、坂本結香さんも早くこのメンバーに加えてもらえるように日々精進して欲しいと思う。
2009年9月 5日 (土)
2009年9月 4日 (金)
21年産新米
落柿窯の主は「ごはん党」だからほとんど毎食ごはんを食べている。しかし、食は細いから米の消費はさほど多くはないが、それでも定期的に米を買わねばならない。
田圃があるのだから米を作れば良いのだが、その力も財力もない。・・・農業をするには相当元手が掛かるから、食べるだけなら買ったほうが良いのだ。
そんなわけで、落柿窯の米櫃が空になったのでスーパーに行ったら早くも新米がセールされていたから購入してきた。
このあたりの稲は、やっと穂が出始めたばかりのに、さすが黒潮の恵みはすごい。
まさしく取れ取れの新米である。
早速食したが新米の味だった。
少しくらい長期に入れていても変質しないし虫も付かない。やはり備前は魔法の器だ。
2009年9月 3日 (木)
獅子舞の日
楽しみにしていた獅子舞がやってきた。例年、9月2日に必ず来ていたのだが、今年は日程の変更で今日になったようだ。
この獅子舞は、落柿窯のある里の初秋の風物詩だけれど、最近は留守宅がけっこうあるから、玄関先で締め出しを食らうことも事も多いのではないかと推察するが、日本の伝統文化として長く続いて欲しいと思う。
それはさておき、今日のメンバーの方々は、このブログ「落柿窯発季節の便り」を見ていただいているようで、昨年の獅子舞の記事が話題になって盛り上がった。陶芸と何の関係もない獅子舞の方々が、この拙い記事を見ていただいているとは感謝である。
今日の話題は、獅子舞の写真で埋めようと思う。
手の先まで力強い。
来年も楽しみに待ちたいと思う。
ちなみに、これは今日いただいた獅子からのお土産。
2009年9月 2日 (水)
割り木の話
秋になって、備前では10月の「備前焼まつり」(10月17日~18日)に向けて窯を焚いている作家が多くなったようだ。
そこで、今日は、窯焚きの燃料である割り木の話をしようと思う。
今までにも話題にしたことがあるけれど、備前焼を良く理解していただきたいから、何度も話題にしていくつもりだ。
備前焼の燃料は赤松の割り木。この割り木を窯の大きさにもよるが、数百から千数百束使うのが普通だ。窯焚きには10日前後を費やすから、このくらいの量が必要になる。
さて、今日の話題の中心は割り木の種類。備前焼に使う割り木はその大きさから大体3種類に分かれる。
上から、「小割」、「大割」、「二つ割または半割」。
ほとんどの窯は大割と小割を使う。大割は正面の焚き口用で、小割は横焚き用だ。
二つ割(半割)は窯焚きの初期段階で使う事もあるが一般的ではない。
それにしても、あの備前の変化には松割り木が不可欠であるから、自然環境の悪化を考えると、これからの供給が心配される。
2009年9月 1日 (火)
快晴の二百十日
2009年8月31日 (月)
百姓日和
台風11号は関東方面に進んでいったから、西日本は快晴の青空が広がった。日差しはまだまだ強いけれど、今日は、北東の風が心地よい秋らしい天気になった。
先日、刈った畑の草が良く乾いている。そこで、午前中、枯れ草を燃やし、その後、トラクターを入れた。
落柿窯の畑は、主が年金生活者になって依頼、時間が有り余っているおかげで、今までに無く早い時期に整備が出来た。
後は有機石灰を入れ、鶏糞を入れて、もう一度トラクターを入れ、秋野菜の種を蒔くことになる。
今日、石灰も鶏糞も入れたかったけれど、暑さには勝てずトラクターで整備しただけで終わった。
今日は、さすがに疲れた。昨夜、選挙速報を夜遅くまで見ていたからかもしれない。こんな日は早く寝るに限る。
2009年8月30日 (日)
2009年8月29日 (土)
秋雨前線
今年は、例より早く秋の長雨の季節に入ったようで、今朝は、けっこう強い雨が降った。夕方には、またしても小雨がちらついている。時折、晴れ間は見えるものの、一日を通して鬱陶しい天気だった。その上、南海上には台風11号があって日本列島を伺っている。
天気予報によれば、31日ごろ東日本に接近または上陸するという。まるで二百十日(9月1日)に合わせたような自然のいたずらは願い下げである。
主は、相変わらず今日も怠惰に過ごしている。それでも、仕事は昨日と同じく徳利を少しばかり挽いた。
今日は、徳利を挽こうと思ったわけではない。昨日挽いた徳利を仕上げたら、なんとなく徳利に目が向いたから少し挽いただけだ。
今、主はまったく無計画に動いているから、その日、その時の気分次第でころころ変わる。明日は、また、何を挽くか分からない。
落柿窯作「備前徳利」。
転がして焼いた徳利だ。胴の片面に美しい細かな胡麻が降って肩身替わりになっている。
今作っている徳利もこんな胡麻が掛かってくれれば嬉しいが、さて、こればかりは、窯から出てみないと分からない。
夕方になって、親しくしている若い陶芸家の卵がやってきた。今、友人の引き出物を頼まれて奮闘中だ。すべてが生きた勉強になる。頑張って欲しいと思う。
2009年8月28日 (金)
余韻を感じる焼き物
焼き物を鑑賞するポイントの一つに、余韻が感じられるか、否か、と言うことがある。
余韻とは、余裕であり未完の美しさといってよい。つまり、轆轤を挽ききらないことによって生まれる伸びやかさやおおらかさ、勢いである。
備前では、特に、このことが顕著である。轆轤を挽ききった作品は、一見非の打ち所がない姿であるけれど、じっと見ているとなんだか息苦しさを覚えることがある。これでは余韻は楽しめない。
そんなこんなで、主が目指すのはそんな轆轤であるけれど、これはあくまで理想であるから、主が挽く轆轤はまったくの論外だ。
しかし、目標は常に高いところに掲げておかないと見失う事が多いから臆面もなくそうしている。
今日は、午前中 歯の治療に行った後、何もせずぼんやり過ごした。夕方近くになってやっと轆轤に向かい気の向くままに挽いたのがこれ。
下手な轆轤だと自分でも思うけれど、主の技量がそのまま出ているから、主を表現するにはこれでよい。
これからも「趣くままに、気の向くままに」轆轤を挽きたいと思うこのごろである。
2009年8月27日 (木)
散歩の友
今朝は、曇り空を幸いに畑の草を刈った。後は、枯れるのを待って焼いた後トラクターを入れる。
今回の草刈でこの夏の野菜は終了だ。ただし、ここに来て遅れていたゴーヤが成り出したからゴーヤの棚だけは残した。
草だけ始末すれば秋野菜の種蒔きが出来る。
種まきは9月の連休頃になるだろう。
今日は、午前中の草刈で疲れてしまったので、午後は昼寝。したがって、今日の仕事は草刈のみ。悠々自適そのままだ。
夕方、いつもの散歩に出た。このところ、散歩の楽しみの一つに近所のワンちゃんとの出会いがある。
主に良く馴れて、主の気配を感じると飛んでくる。そうなると、主はワンちゃんと、もう一回り散歩する。
一人暮らしの主は、まったく会話のない日がたびたびあってボケそうになるけれど、散歩の途中、このワンちゃんが癒してくれるから何とか持ちこたえているのかも知れない。
犬、飼おうかな・・・。
2009年8月26日 (水)
棚板
今日、注文していた棚板が届いた。落柿窯は、小さな窖窯だからそんなに多くの棚板を使わないけれど、初窯から使っている棚板が割れたり痛みがひどかったりで使えなくなったものも多い。
築窯当初は、知識が乏しかった所為もあって、購入した棚板は粗悪品。高温の場所に置いたものが歪んだり、溶けそうになったりで散々な目にあった。安い品に飛びついたのがいけなかったようだ。その後買い足した棚板は高かったから品質も良いものだった。この度買い足したのは、不注意で割れたり痛んだりしたものが出てきたからだ。
久しぶりに購入した棚板は一流メーカー品だから品質は折り紙つきだが、少々高価。年金収入しかない貧乏人の主には負担が大きいが、棚板がないと窯詰めが出来ないから止む終えず思い切って注文した。
2種類を購入した。一つは45×45.もう一つは43×30。
これで棚板を心配せずに窯詰めが出来る。
今日、落柿窯は賑やかな日だった。午前中は陶芸教室、午後、引き続いて絵手紙教室。
夕方近く、教室のみんなが帰った後に、帰省中の友人が子供の手形を取りに来た。満1歳になる子の記念の手形だ。ついでに、おにいちゃん(3歳)の手形も取った。
これで次の窯で焼く手形は3枚になる。
2009年8月25日 (火)
宝瓶を造る
今日は、なぜか手捻りで宝瓶が造りたくなったので久しぶりに「龍の宝瓶」を造った。前回の窯で焼いた龍の宝瓶は、龍のひげが折れてしまったり、注ぎ口がおかしかったりで商売にはならなかった。
今日造った龍の宝瓶は、前作よりは多少ともましだとは思うけれど上手くはない。今の主の技量ではこんなものだろう。
この宝瓶は窯の中で灰を被る場所に入れて龍をごまかそうと思う。
さて、水切りの良し悪しは使ってみるまで分からない。
前回の窯でいくつか焼いた中で唯一生き残ったものだ。後はまったく使い物にならなかった。
知人に宝瓶造りの名人がいるから教えを請う必要あるね。
2009年8月24日 (月)
高い青空ーなごりの野菜
処暑を過ぎた途端、抜けるような秋の青空が広がった。今朝は、網戸のまま開け放っている窓から入ってくる冷気に、思わず掛け布団を手繰り寄せていた。
午前中は、青い空に綿雲が浮かんでいたが、午後になると雲ひとつない快晴の青空になった。
午前中、青空に浮かぶ綿雲。北からの涼やかな風が吹きぬけていく。今日は一日中、エアコンのスイッチを入れることもなかった。
午後からの雲ひとつない青空は本格的な秋の訪れを感じさせてくれる。
こんな中、畑の夏野菜を始末した。なごりのナス、トマト、ピーマンが夏の終わりを教えている。
この夏の野菜は不作であった。天候の所為か、苗の所為か、手入れ不足の所為は分からないが残念な結果になった。
秋の野菜に期待しよう。
今日は、午後から高校野球の決勝戦をテレビ観戦。手に汗握る、名勝負に大満足だ。
そんなわけで、今日の仕事は、やはりはかどっていない。
小さい花器だから場所をとらない。野の花を入れたいと思う。
「花は 野にあるように活け」(利休七則)
2009年8月23日 (日)
処暑の風景
今日は処暑。暑さが和らぐ頃とされる。暦に合わせたように、夕方から秋の空になった。
夕方の空は秋の雲に覆われた。夜になって涼しい夜風も入ってくる。
このところ不作が続いていたから期待したい。
そろそろ畑の夏野菜の残骸を始末して秋野菜の種蒔きの準備をしなければならない時期だ。
夏も終わりだから準備を急ごう。
今日は、バイクを探している主のために、友人が面白い出物を見せに来てくれた。ちょっと変わった「ビューエル」というバイクだ。主は「ドカティ」を探していたのだが、このバイクも捨てがたい。悩むところではあるが、このバイクも候補の一つになりそうだ。
2009年8月22日 (土)
マスク狂騒曲
新型インフルエンザの流行期が始まったという報道で、またしてもマスクが売れ出した。一時、パニックになるほどの品不足であったのに、いつの間にか見向きもされなくなっていたマスクが再び動き出した。
都会では、すでに品薄らしく、流行拡大が心配される地域からマスクを確保して欲しいとの依頼が来たのでドラッグストアーに行ったところ、こんな田舎でも「一人2箱までにしてください」との張り紙がしてある。すでに品薄になっているのだという。
マスクをしても新型インフルエンザの予防効果は疑わしいが、庶民としてはマスクでもしていないと不安が大きいのだと思う。それより手洗いの方がはるかに効果的なのに・・・。
それでも、今日は頼まれたマスクを確保した。自分用には、非常用として少しばかりを備蓄しておく。
通常は使い捨てだが、このマスクは10回程度繰り返して使えるという。ただし、3日間、陰干ししなければならない。そのため、一箱に3枚入っている。これでおよそ一ヶ月使えるが、お値段は980円なりと高価である。
マスクのおかげで午前中はドラッグストアーめぐり。午後からは、今日で契約が切れるセキュリティーソフトの入れ替えと、バタバタと過ごした。ちなみに、ソフトはマカフィーからウイルスバスターに変えた。結果的に、少し重くなったように思う。
そんなわけで、今日は、ほとんど仕事にならなかったが、かろうじて、昨日と同じような「手桶型一輪差」を一本だけ仕上げた。
今日は厳しい残暑に参ったが、明日からは爽やかになるというから期待していよう。
2009年8月21日 (金)
あゆのパイ
先日帰省した甥が、お土産にくれた「あゆのパイ」を陶芸教室の面々と一緒にいただいた。
すだれの上で自作の備前皿にのせると、なんとなく涼しさを感じるから不思議なものだ。ちょっとした演出の効用である。
さて、今日は千客万来で一日賑やかであった。陶芸教室の途中、女流陶芸家の従妹が「冬瓜」を持ってきた。そうこうするうちに、今度は以前から親しくしている若い女流陶芸家で、今は料理人に嫁いでいる友人が、帰省した機会に子供を連れて訪ねてくれた。いつの間にやら、二人の子供の母である。
そんなこんなで、今日の主の仕事はこの一輪差一つ。
今日も余りに蒸し暑かったから、エアコンがフル稼働していた所為か、乾燥が進んで、昼前挽いて夕方には、早くも仕上げのタイミングになってしまった。
室に入れてゆっくり乾かしたほうが良いけれど、小さいものだから大丈夫だろう。大きい作品や大皿は、ゆっくり乾燥しなければ割れる危険が大である。
2009年8月20日 (木)
残暑の中を
相変わらず残暑が厳しい。今日は、最近では珍しく蒸し暑い日になった。そんな中、元の職場の友人が訪ねてくれた。彼は、かっこよいバイク乗り(中年ライダー)である。
これが彼の愛車。かっこいい。主もバイク好きだから、出来ればこんなバイクに乗りたいが、さて、こんなバイクでどこに出かけるか、それが問題だ。
今日は久しぶりに楽しい時を過ごした。友人に感謝である。
今日は落柿窯の焼成サンプルの一つを紹介したいと思う。
落柿窯は、窖窯で酸化焼成するからこんな焼成は珍しい。
登り窯で焼成すればそんなに珍しい焼けではないけれど、窖窯ではめったに出ない焼けである。
ただ、残念なのはこの砧花入れは割れているので使えない。
今日は、気の向くままに水指を造った。今回の水指はヘラ目を入れて耳をつけた。
この時期は、一日中エアコンが動いているから良く乾く。今日の水指も午前中に轆轤挽きして、夕方には仕上げることが出来た。これが良いか悪いか分からないが・・・。
2009年8月19日 (水)
2009年8月18日 (火)
思いのままに
ずいぶん前、漫画「浮浪雲」のように生きて行きたい、と書いた事がある。あの時は、まだ在職中であったから、近い将来の夢であった。
今、退職して自由の身になってみると「浮浪雲」のように生きることの難しさを感じている。あるがままに、自然のままに・・・と思っていても実際の生活では迷いも多く、煩悩も多いのが現実だから、なかなか想い通りには行かない。
だが、主の置かれている立場は、世の人々に比べると、より自由度が高いのも事実だ。
世の人たちから見ると、「なにを贅沢な・・・」といわれるだろう。まさに、浮浪雲のように見えているに違いない。
今日も、工房で気ままに轆轤を廻し、疲れたら横になって昼寝。これほどの贅沢はないだろう。
雨の日は雨の音を聞き、暑い日には涼しい縁側で風の音に耳を傾ける。蝉の声、虫の音に季節を感じながら自然と共にある生活。
これ以上何を望むのか・・・。
改めて「浮浪雲」のように生きたいと思う。
2009年8月17日 (月)
2009年8月16日 (日)
残暑見舞い
風が立つようになっても、虫の音が聞こえるようになっても、まだまだ日差しは強くて、日中は暑さが厳しい。このブログにアクセスしてくれている人がみな元気ならいいのだが・・・自愛のほど、お願いしたいと思う。
ここに来て、主は疲れが出たようで、お盆の期間中テレビで高校野球を見ながらごろごろしていた。この夏は、どこかの山に登ろうか・・・などと考えていたけれど、こんな状態ではまったく無理だ。
それにしても、気持ちばかりが先に立って体がついていかないのは、やはり歳の所為か・・・。周りを見ると、同年代の人はみな元気なのにね。
まあ、人それぞれだから、こればかりはどうしようもない。主は主でしかないから、今生きているだけで良しとしよう。
今日、落柿窯の展示室で盛り鉢を見つけた。少し前に焼いたものだが使えそうなので紹介する。
サイズは23センチ×8センチ。盛り鉢でも多用鉢でも使えると思う。
今日は残暑が厳しいから水を満たして写した。備前は水との相性がピッタリだね。
2009年8月15日 (土)
不戦の誓い新たに
今日は64回目の終戦記念日。正午、テレビに合わせて黙祷した。それにしても、300万人とも350万人とも言われる太平洋戦争の犠牲者の尊い命と引き換えに生まれた平和憲法をないがしろにする勢力が増えていることに大きな危惧を感じずにはいられない。
8月15日、今朝、秋風の中で始めて虫の音を聴いた。昼間はまだまだ蝉の声ガ主役だが、夕方の散歩でも、草むらの中から虫の音が聞こえてくるから、季節は確実に進んでいるのが実感できる。
このまま季節が進めば、今年は、夏がほとんどなかったことになる。それでも、暑い日には食欲が落ちる。そんなときは、やはり素麺のお世話になることが多いから備前の素麺鉢の出番となる。
6寸ほどの大きさがある。1,2人で素麺を楽しむにはこれで十分だ。
焼成は窖窯による酸化焼成だ。
見込みは、ぱらぱらと降った胡麻と真ん中の抜けに付いた緋襷が景色になっている。
白い素麺を入れて、食べ終わった後に表れる景色を楽しめるのが面白い。
今日の仕事は、昨日挽いた茶碗の仕上げ。その後、ちょっと建水を挽いてみた。
建水は、茶道具の脇役だが、作法に使うだけでなく何にでも使えるから、一つあるととても重宝する器である。出来れば少し大き目が良いと思う。
2009年8月14日 (金)
風立ちぬ
北の高気圧に覆われて風立つ日になった。日差しは強いけれど心地よい風が吹き抜けて行く。空は青。白い雲が浮かぶ。こんなに早く秋を感ずる日が来ようとは思っていなかったけれど、天候不順でも季節は暦どおり進んでいるのを実感した日である。
のどかな風景に癒される。先日までの天候不順、集中豪雨が嘘のようだ。
風立つ日が嬉しくて、秋草の茶碗にたっぷりの冷茶を入れて、縁側でぼんやりと庭を眺めるひと時は、まさに至福の時間である。
気持ちの良い風と青空の所為でもないけれど、今日は久々に茶碗が挽きたくなって轆轤の前に座った。
備前の茶碗は敬遠されることもあるけれど、使ってみるとなかなか良いものだ。要は、使う人の気持ち次第であると思う。
秋に向かって体調も回復するはずだから、フリーの特権を生かしておおいに楽しみたいと思う。
2009年8月13日 (木)
盆休み
今日から盆休みに入ったところが多い。道路も鉄道も大変な混雑だ。こんなニュースを横目に、主は相変わらずの日々だ。
今日は墓参りに行ってきただけでもっぱらごろごろしていた。なんとなく身体がだるくて気持ちが上向かない。いつもの夏バテかもしれない。この夏は比較的過ごしやすいから食欲も余り落ちていなかったけれど、ここに来てちょっとおかしい。いつもの夏バテ状態のようである。
今までなら無理にでも出勤していたから嫌でも気が張っていたけれど、毎日が日曜日の今では動かなくても済むから余計に怠惰になってくる。夕方の散歩だけは頑張って続けているが、これがせめてもの救いかも知れない。
さて、今日から「盂蘭盆」ということで、羅漢さんの湯呑みに冷茶を入れて一息入れた。
箱には「らかん湯呑」「平安瑞昭造」とある。
「らかん」は大野瑞昭さん(瑞昭窯)の代表的な意匠だ。
今日から盆だからこの湯飲みを出してきたが、いつもは、もったいないから使わずに箱に入っている。(結構いい値段なのだ)
2009年8月12日 (水)
2009年8月11日 (火)
蘇った庭
長い梅雨の所為で、落柿窯の母屋は草に埋もれていた。毎日、暇を持て余している主が草取りをすれば良いのだが、何せ、怠惰な主は草取りが苦手。
そこで、仕方なくシルバーさんに草取りをお願いしている。、今回もお願いしていたのだが、今日、早速来てくれた。おかげで庭が蘇った。いつもの事ながらシルバーさんに感謝である。その分、生活費を切り詰めることにはなるけれど、それは致し方ない。我慢我慢。
蘇った庭。この状態がいつまで続くか分からないが、晴天が続けばしばらくはもつと思う。
落柿窯の母屋の門は、屋根に大瓦が乗っている。
瓦も焼き物だからアップしてみよう。
今ではこんな大きな瓦を見ることは亡くなったけれど、昔の藁屋根の頂辺にはよく乗っていた。主が生まれた家も藁屋根で、同じ瓦が乗っていた。
珍しいから大事にしたいけれど、割れたらお終いだね。
さて、今日の備前焼は花入れにした。
拳1つ分より少し大きいほどの花生けである。
花の終わったアジサイの枝を入れるとけっこう涼しげ。
備前は、野に咲く花や、何気ない緑を一輪入れれば十分である。
2009年8月10日 (月)
自然の猛威
昨日から今朝にかけて、台風9号の影響で豪雨になった。県北の美作地区や兵庫県佐用で大きな被害が出ている。今年何度目の豪雨被害になるのか、数えられないほど多い。
自然は何でこんなに猛威を振るうのか?・・・自然のなせる業には到底逆らえなしけれど、被害に苦しむのは何の落ち度もない善良な市民であるから国は早急に援助の手を差し伸べてもらいたいと思う。
こんな豪雨は願い下げだが、普通の雨はそんなに悪いものではない。昨日の豪雨にはさすがに恐怖を感じたが、その後、小康状態になってからは窓を大きく開けて雨音を聞いていた。
居ながらにして森林浴が楽しめる贅沢は何より嬉しいことだ。
午後から雨も上がり、気が付けば晴れ間が広がっていた。雨に濡れた緑が眩しい。
自然のままに伸びた緑に光が反射して、雨の後はいつも光のありがたさを感じる。
さて、今日の焼き物は「備前芋徳利」。
雨上がりの光をバックに縁側に備前芋徳利を置いた。この存在感が魅力である。
2009年8月 9日 (日)
祈りの日は続くーノーモアナガサキ
8月6日の広島の日に続いて今日は長崎の日。核廃絶の思いを一人ひとりがより強く持たねばならないと思う。
今日は朝から豪雨。そんな中を、落柿窯にかわいい訪問者があった。名は「かえで」ちゃんという。
前回の訪問は、5,6年前だからまだ小さかったけれど、今年は3年生になった。その上、最近かわいい妹が誕生したから、もうお姉ちゃんだ。
今日は家族の手形陶板を造った。そういえば、かえでちゃんが1歳半の頃、同じように手形陶板を造ったのを思い出した。
彼女は、陶芸に興味があるようで、主が手助けしながら電動轆轤で「マイカップ」を挽いた。けっこう才能があるように思う。
夏休みの自由研究の題材になったようだ。
後の仕上げは主の担当だが、上手く焼けるといいね。
これより先、今日はもう一つ、思いがけない贈り物が届いた。
桃の栽培農家である友人から届いた大きな桃。種類は「サンゴールド(黄桃)」。完熟まで数日待って食すと良いとの事。
楽しみにしていよう。
益々美味そうである。感謝、感謝。
それにしても、今日はすさまじい豪雨だった。
この豪雨のため、またしても、あちらこちらで被害が出ている。明日にかけて、台風接近のため広い範囲で豪雨が予想されるけれど、これ以上、被害が広がらないことを祈るばかりだ。
2009年8月 8日 (土)
高校野球
今日から全国高校野球選手権大会(夏の甲子園大会)が始まった。この日を待っていたかのように、青空に白い雲が浮かぶ絶好の甲子園日和になった。
主もテレビで観戦していたが、おや・・・、マウンドに立つピッチャーの後ろに「アキアカネ」らしきトンボが写っている。夏の大会の終わりごろにはいつも見られる光景だが、初日から見たのは珍しい。やはり今年は夏がないようだ。
この夏、最も良い天気になったからコンデジを持ってあたりを見ると、空には積乱雲の上空に巻雲。夏と秋が同居している。
今日は、落柿窯の周りで写した夏の風景をアップする。
昨日と違って、煙突の上空には巻雲。低い位置には積乱雲があった。
青空の下、稲がしっかり育っている。このまま晴天が続いて欲しいと思う。
落柿窯の象徴ともいえる柿の大木。濃い緑が茂って、今は蝉の住みかだ。昔はニイニイゼミばかりだったように思うが、今はクマゼミに占領されてしまった。
母屋の庭の木々も濃い緑に覆われている。部屋の奥から外を見ると強い日差しに木々の緑がまぶしい。
夕方、散歩の途中でアヒルたちに出会った。餌場にむれて餌の催促。まだまだ雛の状態だからピヨピヨと喧しく鳴いていた。
さて、今日は余りに暑かったから涼しい部屋の奥で高校野球を見ながら昼寝。しかし、午前中の涼しいうちにフリーカップを少し挽いた。
少し大きめのカップ。焼酎でもアイスコーヒーでも使い手の自由に任せたカップだ。
夕方、散歩に出る前に仕上げたが、さて、焼き上がりがどうなるか、お楽しみである。
2009年8月 7日 (金)
秋が立つ日に
今日は、立秋。
「秋きぬと 目にはさやかに見えんねども 風の音にぞ驚かれぬる」(藤原敏行) (古今集)
毎年、立秋にはこの和歌のお世話になっている。今年も同じように引っ張ってきたけれど、今年の立秋は梅雨明け直後だから何か変だ。
立秋の今日、この夏初めて、焼け付くような日差しになった。この暑さの中、このブログに時折コメントを入れてくれる「まいこのお茶」さんがご夫婦で訪ねてくれた。
「まいこのお茶」さんは、焼き物好き、旅行好きのようで、ブログを拝見すると、焼き物や旅の写真が満載である。今回の旅は2度目の備前焼訪問ということだった。
「ついでに讃岐うどんを味わって帰る」と言われ、落柿窯の後、瀬戸大橋に向けて出発された。
これは「まいこのお茶」さんからいただいた本物の豆腐。最近こんなに濃い豆腐を食ったことが無い。旨い。癖になりそうである。
さて、今日は、立秋だというのに、日差しはこの夏一番の強さになった。
夏といえばスイカだが、かぼちゃもなくてはならない夏野菜だ。ビタミンEが豊富だからどんどん食べよう。
それにしても、今日からの暑さは残暑というべきだが、本当はこれからが今年の盛夏だから、残暑はいつから・・・?
2009年8月 6日 (木)
祈りの日ーノーモア・ヒロシマ
今日は、「広島の日」。核廃絶を目指す気持ちを新たにする日。
最近、一部のマスコミや評論家が、日本の核武装論や、軍事力強化を声高に唱えるのを良く聞くが、果たして、それで日本人が幸福になれるのか・・・、はなはだ疑問である。
今年4月5日、オバマ大統領が、プラハで行った核廃絶を目指す演説が、アメリカの良心であると信じたい。
さて、今日も鬱陶しい天気だった。梅雨が明けても夏の天気になってくれない。台風8号が去った後に夏空が戻ってくれることを期待しよう。
最近、主は、暑さに弱いことも重なってか沈滞気味だ。別に体調不良でも無いのに気持ちが上向かない。まあ、こんなこともあろう・・と深く考えることもないのが主の良いところ。いつもどおり轆轤に向かった。
今日は、特にこれを作ろうという意図もなかったが、轆轤を廻したら水指が出来た。
酒呑みが、酒器が得意なように、茶好きの主は、茶道具を挽くのが好きだ。
今日はなんとなく水指が造りたくなって、久しぶりに挽いたらこの水指が出来た。
少し小さめの水指。風炉の横に置くと丁度良いと思う。
蓋は合わせてみたが、全体の仕上げは明日になる。
2009年8月 5日 (水)
スイカ
梅雨が明けてもすっきりしない天気が続いている。天気図を見ると台風8号が先島諸島に接近しているし、台風から伸びる雲がb日本列島にかかっている。これでは天気が良いはずが無い。
しかし、太平洋高気圧がやっと西に勢力を広げ始めたようだから、今後、次第に大気の状態が安定してくるかも知れない。期待して待とうと思う。
それにしても、自然は時に気まぐれである。
さて、今日は、月に一度の病院予約の日。午後からいつもの病院に行って来た。結果は・・・、良くは無いが、まだ当分は生きられる。
先日、近所の畑で大きなスイカをいただいた。「まずかったら捨てて・・・」と言われていたのだが、今日切ってみると、すばらしく甘くて美味い。その上、皮の際まで柔らかく甘いから食べられる。この間スーパーで買ったスイカよりはるかに良い。
この皿は、昨日、主の不注意で割ってしまった大皿のカケラ。捨てるには忍びないから、角を磨いて皿代わりに使うことにした次第である。
これなら何とか使えそうだ。
2009年8月 4日 (火)
福田路子さんの器ーその2
先日、焚いた福田路子さんの窯が出た。もちろん、薪窯である。結果は、すばらしい焼成であった。
許可を得て、写真を撮ってきたので紹介したい。このブログにアップすることも了解済みだ。
見ての通り、すばらしい焼けである。薪窯の酸化焼成としてはこれ以上は無い。
薪窯を得て、福田路子の器ワールドが益々広がったように思う。
さて、これより先、今日は朝から草刈。この夏、3度目の草刈だ。少しの曇り空に助けられて何とか熱中症にならずに済んだが、全身汗だく。終わって風呂に飛び込んだ。
約、100メートルほどの畦道だ。柿木の下草も刈り取ったから少しはすっきりした。
しばらくは草刈から開放してくれるかな・・・。無理、無理。
合わせて、畑の草も刈った。野菜が草に埋もれて姿が見えなかったけれど、草を刈ると、トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、オクラ、ゴーヤ、ハーブ、それに枝豆が出てきた。
弱っているものもあれば、元気に実をつけているものもある。野菜たちは、草の中でも懸命に生きている。
無農薬、有機栽培の強さだろう。
除草剤が嫌いな主は、きつくても草を刈り続けるしかない。
2009年8月 3日 (月)
梅雨明けはまだか?
今日、近畿、東海の梅雨が明けた。しかし、中国地方の梅雨明けの発表は無い。大気の状態が不安定で、強い雨や雷雨の恐れが大きいのが梅雨明けできない要因のようだ。
今日も北から張り出した高気圧の圏内でよく晴れた。北の高気圧から吹き出す風は乾いているから、暑さは厳しいけれど、盛夏ほどではない。
畑も田圃の畦道も草が伸びた。雨が良く降り出してからの草の勢いはすさまじい。近いうちに草刈しなければならない。オイルとチップソーの刈り刃の用意は出来ているけれど、この暑さの中に出て行く勇気が出ない。そうはいっても、草は待ってくれないから、近いうちに元気を出すしかない。
今日は、久しぶりに花入れを何本か挽いた。
花入れを作ってもお嫁に行くかどうか分からないけれど、窯詰めにはいろんな作品が必要だから、どうしても作ることになる。
久しぶりに挽いた花入れはどうも形が決まらない。
名人なら、「伸ばせば花入れ、広げれば皿、すぼめれば茶碗になる」というけれど、落柿窯の主は凡人だから如何ともし難い。
修行が足りないね・・・。
2009年8月 2日 (日)
不完全な美しさ
今日の夜明け前の雷雨はすさまじかった。まるでバケツをひっくり返したようだった。時間が短かったから被害はなかったが、窯を焚いていた従妹は肝を冷やしたようだ。幸い窯には影響がなかったようなので何よりであった。
その後の晴れ間は、梅雨が明けたのかと思わせるほどの日差しが降り注いだ。しかし、まだ梅雨は明けない。大気の状態は相変わらず不安定だ。
さて、落柿窯の主は、なぜか「不完全なもの」、「少し足り無いもの」・・・などに美しさを見る事が多い。
完全なものは、すばらしいが、主が日々の友として使いこなすには己の力量不足を感じてしまう。
そんなわけで、主はちょっと足りない魅力に惹かれる。
この徳利も少し焼けガ甘い。しかし、主は、焼けが甘いからこそ感じられる暖かさが好きだ。
これは個人の感性の問題だから、好き嫌いは意見の分かれるところだ。
被せで焼いた徳利だか、ちゃんと温度が足りていたら被せ部分は白く抜けて緋襷はもっと赤く出ているはずだ。胴にかかった胡麻は溶けていた。
しかし、そのような焼けではこの暖かさは出ていなかったと思う。
陶器ばかりでは無いけれど、その良し悪しは見る人の感性で決まるから、見る側の感性を養うことが求められるように思う。
2009年8月 1日 (土)
2009年7月31日 (金)
自然と共にある焼き物
梅雨明けを思わせる晴天になった今日、四国が「梅雨明け」した。しかし、この週末には再び梅雨前線の活動が活発になる予報のため、中国地方は梅雨明け宣言が見送られた。その上、来週半ばには、台風の接近も予想されているようなので、来週末まで梅雨明けしないかもしれない。
日差しは次第に強くなっているから、日中は、涼しい木陰を除いてエアコン無しではとても暮らせない状況だ。それでも、この暑さの中で窯を焚く作家さんがいる。備前ではそんな状況が決して珍しくない。仕事の厳しさは、いずこも同じということだろう。
さて、主は、厳しい日差しが和らぐのを待って、久しぶりに備前を野に連れ出した。
主は、備前ほど自然と調和する焼き物は無いと思っている。
無釉の焼き締めであることが大きな要因であると思われるが、肌の色の変化、土味の良さを含めて備前の右に出るものは無い。
あちこちにある焼き締め陶を見ても備前以上のものに出会ったことが無い。
自然と調和できる備前が、もっともっと使われることを願って止まない。
2009年7月30日 (木)
歯抜け
今日は、半年ぶりに歯医者に行った。虫歯あり、歯茎の後退あり、歯根の痛みあり、部分入れ歯ありで、主の口中はガタガタだ。前回の治療は半年かかったが、今回も時間がかかりそう。
帰宅して、だるさを感じたから、午後からずっと寝ていた。最近、睡眠が浅く、寝不足の状態が続いているから少しの疲れも回復しない。
夕方、のろのろと起き出して従妹の窯詰めを見に行った。暑いけれど展覧会用に窯を焚くようだ。熱中症に気をつけて頑張って欲しいと思う。
さて、主の疲労回復には茶しかない。今夜は美味い煎茶を入れた。
夏用の極薄の湯呑み。強く持つと割れそうなほど薄い。この季節にはいつも使う「どくだみ絵」の湯のみだから、このブログにも何度も登場している。
菓子は良く冷えた「くず餅」。
少しは疲れが取れたかな。
2009年7月29日 (水)
夏の茶
この夏は、雨ばかりだから、比較的涼しい日が多いけれど、それでもいったん日差しが出ると、さすがに蒸し暑さが戻ってくる。
今日もそんな天気。蒸し暑い。工房には一日中エアコンが入っている。そうしなければ仕事にならない。ましてや、こんな時期に窯を焚くなんて思いもよらないが、備前では、暑くても窯を焚く作家さんがいるのが現実。主は真似が出来ない。
暑がりの主は、夏はまるで元気が出ない。最近では、好きな山に行くこともなく、ただただエアコンのお世話になっている。
今日もそんな一日だったが、夕方、親類の母娘がお墓参りの帰り立ち寄ってくれた。
昼は陶芸教室のコーチ、夜は親類のもてなしと忙しかったけれど、一人になって、ゆっくりと茶を点てると疲れも消える。
夏茶碗で冷たい茶を飲む楽しみは夏だけのもの。
茶の美味さが身に沁みる。
2009年7月28日 (火)
今年のアヒル
今日、散歩の途中、アヒル農法の水田を見つけた。昨年までアヒル農法をしていた水田とは少し離れているけれどオーナーは同じだ。
アヒルはまだ小さくて雛の状態。鳴声もピヨピヨと聞こえる。今、土用干しの田圃が多い中で、この水田だけは水を張ってあるから、アヒルが活発に活動していた。
まだ小さいから、空からトンビや鷹に狙われる。そのため「脅し」もつけてあった。その上、狐や鼬避けに弱電流の網も張ってある。けっこうコストがかかるようだ。
株の周りを泳ぎながら水草を食べている。張られた水は、アヒルの水かきで絶えずかき回しているから、水は濁って酸素の吸収も多い。
農薬を抑えて自然の力を借りる農法がもっと増えればよいが、コストを考えれば難しいようだ。
それはともかくとして、主にとってはアヒルの成長を見るのが楽しみである。
冷蔵庫が来た日
今日は、先日、電気屋さん(量販店)で購入した冷蔵庫が届いた。そのため、朝から、今までの冷蔵庫の整理と掃除に追われた。
それにしても、工房で使っていた冷蔵庫は1981年後期製だから28年にもなるわけだ。まだまだ使って使えないことは無いが、フリーザーに付く霜には勝てず、比較的新しい(2001年製)母屋で使っている冷蔵庫を置くことにして、母屋に新しい冷蔵庫を購入した次第である。
今、世の中は省エネブームで、その上、政府が訳の分からないエコポイント制度を実施したから、電気屋さんは大忙しだ。ポイントが付くのは、一部の電気製品だから、該当商品以外やエコカーを除くほとんどのものにはまったくメリットが無い。したがって、このブームで笑っているのはほとんどが一部の大企業だ。他の中小企業は大ブームを横目に汗と油にまみれて苦労しているのが現実なのだ。
エコポイント制度は予算の無駄使いとしか思えないけれど、そうは言っても、必要なものは買わねばならないから、落柿窯の主も、心ならずも、このブームに乗ってしまったことになる。
「TOSHIBA GR-A51R」
電気代は年間8千数百円らしいから省エネということのようだ。
しかし、主がこの冷蔵庫に決めたのは安かったからで、エコのことなど頭には無い。
冷蔵庫は最低でも14,5年は使うから、これが主が買う最後だろう。
主は、一人暮らしで、その上、買い置きなどほとんどしないから、この冷蔵庫はデカすぎるが、整理・整頓が不得手な主は、無造作に放り込むから、大きいほうが良いのだ。

































































































































































































































































