行雲流水ー鶴首を挽く
今日、岡山にある茶道具の店「奈々瀬」から催し案内が届いた。その中に「行雲流水」とあった。
「行く雲、流れる水の如く悠々と自在に場所や形を変え、無執着で自由に生きる姿を指す」と解説してある。
この生き方は、まさに主が理想とするところだ。退職以来、何ものにも捉われることなく、仙人の様に自由に生きたいと思いながらも、いまだ惑うところが多過ぎて理想とは程遠いのが現実である。
しかし、土を捏ね畑を耕して悠々と生きる生活は得る事ができた。
今日は、そんな畑から梅雨の合間を縫ってトウモロコシを収穫した。
草に埋もれた畑から収穫したトウモロコシ。実が、はちきれんばかりに詰まっている。
早速茹で上げて食したが、とても甘くて美味い。生でかじってみたがやはり甘い。自然の恵みに感謝。
もう一方の土を捏ねる生活も続いている。
今日は鶴首を挽いた。主は、鶴首が備前の究極であると思っている。
鶴首は難しい。擂鉢と同じようにしばらく造っていなかったのだが、なぜか急に挽きたくなった。
今までいくつか作ってきたけれど満足できるものはできていない。
唯一、作品集に載せている鶴首があるのみだ。
鶴首を挽くには、相当集中力が要求されるから、一本挽いただけでどっと疲れを感じてしまう。
主の技量では、鶴首はまだ無理なのかも知れない。
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