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2007年3月31日 (土)

春の宵

 今日は曇りがちの天候ながら暖かな一日だった。桜も咲き始めてお出かけ日和ではあるが、疲れのためか身体が動かない。午前中、頼まれていた記念品を探しに行っただけで、一日中テレビをつけたまま横になっていた。それでも昨夜のぐい呑みがが気にかかり、夕方から元気を出して高台を削った。

 暖かい春の宵だ。デジカメを持って畑に出たらブロッコリーの花が満開になっている。隣の畑では蕪の花が満開である。

612w800  黄色い小さなブロッコリーの花。

 普通では、ブロッコリーの花など見ることはないが、我家では、収穫出来なかった芽が花になることが多い。結構きれいな花だ。

611w800_1  宵の花は色に深みが増している。太陽の下では明るい黄色だが夕方になると色合いが濃くなってくる。

 穏やかな春の宵だ。

610w800  先日からのぐい呑みが、どうにか差し板一枚分出来た。もう一枚分必要である。今夜も、これから夜なべ仕事で少し轆轤を回そう。

 春の天気は、まだまだ不順な時期にある。今夜から明日の明け方にかけてまた雨になるらしい。その後、気温が低くなると言う。花が長持ちしてくれるのは嬉しいが、早く子羊のように穏やかな暖かい春になって欲しいものだ。

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2007年3月30日 (金)

春雷

 今朝は春雷で目が覚めた。春の嵐は界雷である。春と冬のせめぎ合い。毎年、どうしても通らねばならない春の掟。このせめぎ合いが収まる頃から春が本番になる。「3月はライオンのようにやって来て子羊のように去る。」まさに今朝の嵐はライオンであった。

 さてさて、2日前のココログフリーのメンテナンス以降、アップした写真がフルサイズのままで縮小されなくなり、写真をクリックしたとたん巨大な写真の一部(左上)が表れだした。どうも自分で写真を縮小してアップする必要があるらしい。そこで、今夜は改めて縮小した写真をアップする事にした。

608w800  昨日と同じ写真。今夜はクリックするときれいに表示されるはずである。

 こんな見事な胡麻はめったに出ない。キズがないのが不思議である。

609w800  昨夜仕上げたぐい呑み。高台部分を並べてみると、主の拙い技術がよくわかる。

 今夜も同じ数のぐい呑みをひいた。明日の夜、削り頃になるだろう。今回のぐい呑みは少し小さめにした。

 今夜のぐい呑みは写真がない。

605w800  荒い土の茶碗。こんな荒土の茶碗が使えるかどうかわからない。

 一度で茶筅がダメになると思う。

601w800  同じ写真ばかりではつまらないので昔の主の作品をアップする。

 15センチ×15センチほどの小さな壺であるが、寝かせて焼成しているため窯変が出ている。特に中央部に見える朱がポイントになっている。

602w800  裏面は豪快な胡麻が全面に付いている。

 小さな壺ではあるがなかなかの存在感がある。

 主はこの壺に時々花を投げ入れて楽しんでいる。

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2007年3月29日 (木)

胡麻の皿

 今日は少し天候不順だが暖かい一日だった。明日は年度末最終日。今年は特に、ぎりぎりまで気ぜわしい日が続いている。それも明日が最後。来週から新しい年度が始まる。

 気ぜわしくても忙しくても、落柿窯の主はマイペースを崩さない。それが主の健康を保つ唯一の方法なのだ。

 今夜は昨夜のぐい呑みを仕上げた。少し乾きが悪いが強引に高台を削り出した。陶芸一筋の暮らしでないと乾きのタイミングを計るのが難しい。そのため、どうしても仕上げが強引になることが多い。

609  大きさも形も皆違うぐい呑み達。主の気分次第で形が変わる。大きさも変わる。主の技術の未熟さ故、高台削りは時間がかかって嫌な仕事だが、それでも上手く削れると嬉しい。今日の削りは、乾きが悪かった事もあって時間がかかり過ぎた感がある。

 落柿窯の展示場にはお嫁に行けない器達で足の踏み場もないほどだが、そんな中で、またまた良い皿を見つけた。

608  8寸の三つボタの皿。豪快に胡麻が来ている。この状態で良くキズにならなかったものだ。ボタの下は白く抜け、かすかに緋襷が付いている。裏面にも豪快に胡麻が流れている。

 ここまで焼けると、かえって料理を盛り辛い。焼け過ぎである。

 落柿窯作品の標本として残しておこうと思う。(作品集登載)

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2007年3月28日 (水)

黄砂の季節

 昨日はココログフリーがメンテナンス中のため、ブログの更新が出来なかったので、今日は、昨夜仕上げた皿と茶碗の写真も一緒にアップする。

 それにしても暖かくなった。桜が開花し春本番。しかし喜んでばかりはいられない。あの嫌な黄砂ガ早くも飛んできた。中国大陸の奥地、タクラマカン砂漠やゴビ砂漠からはるばる5000キロを旅してやってくる。いわゆる春の使者であるが、最近飛んできているのは細かい砂ばかりではないようで問題になっている。

 砂と一緒に飛んでくる物、それは中国沿岸部にある工場から排出される有害物質である。中国の工場は、公害対策がなされていないといわれる。すなわち有害物質が垂れ流しの状態なのだ。かつて日本に於いても同じ状態であった。その結果、水俣で、四日市で、尼崎で、日本全国あちらこちらで被害が広がった。今、中国は当時の日本と同じ状況にある。そのため有害物質が黄砂と共に日本に届く事になる。

 日本が本当に中国との友好関係を大事にしたいのなら、一刻も早く日本の公害対策の技術で中国に協力すべきである。それが中国の人たちを救い、ひいては日本のためでもある。

 それにしても黄砂はやっかいだ。

 冒頭で言ったように、昨夜仕上げた茶碗とカレー皿の写真をアップする。

605  昨夜はまだ柔らかい状態だったが今日はすっかり硬くなっている。

 ずしりとした手応えの茶碗。乾くと丁度良い状態になるはずだ。

606  カレー皿も乾いてきた。乾くに従って縁がせり上がって来る。おかげでスープ皿としても使えそうだ。煮物を盛るのにも使える。

 多用皿として使う事になろう。

604  今夜はぐい呑みをひいた。

 実は、今回、ぐい呑みをひいていなかった事に気が付いた。

 数日で50~60個ほど作る事になる。

 窯詰めまでにはまだ間があるので何とかなるだろう。 

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2007年3月26日 (月)

若草の香り

 最近、外に出ると春の臭いがする。。若草の萌える臭いである。ちょっと青くさい独特の臭い。この臭いがしだすと春もいよいよ本番である。

 後楽園にある標準木ガやっと開花したようだが、暖かい日だまりの桜は次々に咲き始めた。週末には咲きそろうだろう。

 今夜は昨日の皿が乾いてなかったので、またまた扱いにくい土で茶碗をひいた。備前の茶碗は使いづらいのはわかっていても、お茶好きとしては何故か茶碗を作ってしまう。

_598  今夜はこの2つで止めた。

 展示場に前回の窯の茶碗が転がっていたので今日はそれをアップする。

_600  碗形(わんなり)の茶碗。少し大振りだが手取りは良い。

 正面はチョコレート色。裏から高台にかけては赤い発色。見込みも同じように赤い。

_599  少し重めの筒茶碗。

 正面に糸胡麻。高台と見込みが白く抜けている。 

 筒茶碗はもっぱら冬に使われるが、この時期ならまだ炉の季節なので十分使えるだろう。

 春になると茶箱を持って野点としゃれ込むのも楽しいものだ。レンゲ畑にゴザか緋毛氈を敷いての野点は粋である。早くそんな暮らしがしたいガ、後2年の辛抱が待っている。

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2007年3月25日 (日)

春が来た

 昨日からの春雨の後、今日は春の陽光になった。もうコートはいらない。

 「3月はライオンのようにやって来て、子羊のように去っていく」という西洋のことわざがあるが、今日はまさにそのことを実感する日和である。

 落柿窯の横を流れる川は童謡のように美しい流れではないけれど、それでも春の光にあふれている。

_596  川面ガ春の陽光に輝く。

 落柿窯の煙突を望むこの景色も、改めて見るとなかなか良い。

_594  この川に住み着いている鴨たち。暖かい光に、いつになくのんびりしているように見える。

 温かさに誘われて、落柿窯の周りを少し歩いてみた。田圃は春の土起こしガ終わり、肥沃は土が顔を出した。

_591  このあたりの田圃は肥沃であり、水も良いため美味い米が穫れる。なのに休耕田が目立つのは悲しい事だ。農家の後継者問題の解決が急務である。

 歩いてみると、少なくなったとはいえ数面の麦畑があった。麦畑の上空には決まって雲雀のさえずり。昔を思い出す風景が嬉しい。しかし、来年の保証はない。

 今日は、昨日割れた「叩き四方皿」の変わりに「叩き木の葉皿」を作った。

_590  「叩き木の葉皿」。60センチ×40センチ。昨日の皿より一回り大きい。

 さて、この皿は無事に焼けるか、楽しみである。今度は慎重に扱おう。

 この皿のほかに、今日はカレー皿をひいた。パスタ皿にもなる大きさ。

_593  9寸ある。焼成後は8寸ほどになる予定だ。

 そのほかに昨日のビアマグを仕上げて今日の仕事は止めた。

 今日で3連休も終わる。明日からまた通常の生活に戻るガ、この休みで疲れがとれたかどうか定かではない。

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2007年3月24日 (土)

春雨の日

 朝から暖かい雨になった。春雨は、風情があるとは言われても、やはり晴天の方が良い。

 落柿窯の主は、この連休で張っていた気が抜けたのか身体がだるい。午前中は芋虫状態であったガ、午後から、陶芸娘達が先日の作品を仕上げにやって来たので元気をもらった。やはり若い娘さん達はいいね。

 今日も彼女達の作品を紹介しよう。午後半日十分に時間をかけた作品。結構いけている。

_588  器の仕上げと共に、手作りの小物を作った。

 土に触れていると時間の経つのが早いようで、6時頃まで頑張っていた。

 主もその間、ビアマグを少しひいた。

_587  最近、主は高台のないシンプルはビアマグを良く作る。今日も細身の形にした。

 夕方、ちょっとした不注意のため、昨日制作した「叩き四方皿」が割れてしまった。明日、また作り直すことにする。時々こんな事も起きる。これも陶芸ならではのこと。残念がることもない。

 今日の暖かい雨で桜の開花も早まると思われるが、落柿窯の斑入りの椿も咲き始めた。

_589  背丈はまだ1メートル程しかないが、斑入りの美しい花を付けてくれる。

 この椿は、面白いことに、一部の枝が赤い花になる。これも、この椿の楽しみである。春雨に濡れながら咲く椿も風情がある。「いとおかし」と言うべきか。

 

_586  畑に残された野菜の花も盛りを迎えた。

 野菜の花は何故か黄色い花が多い。昆虫たちに認識してもらうためと思われるが、大根の花だけは白い。  これも不思議である。

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2007年3月23日 (金)

雲雀のさえずり

 今日は3月に入って初めてと言っていい程の春らしい晴天。やっと春本番になた感がある。幸運にも、今日は休日出勤の代休をいただいていたので、たまっていた所用をすませ、日向ぼっこを決め込んだ。気が付くと、遠くで雲雀のさえずりガ聞こえる。久しぶりの雲雀のさえずりに何故かホットした。

 子供の頃、麦畑の上空には決まって雲雀のさえずりがあり、子供達は、巣を探して駆け回るのがこの時期の遊びでもあった。

 今、子供の姿も、雲雀も見ないことが多い。美しい田舎の風景が消えてしまった。美しい日本の基本は、田舎の風景の中にあるはずなのに、もはや回復しがたい状況である。

 国粋主義が美しい日本の姿だと勘違いしている節のある新保守の政治家はこの現実をどう見るのであろうか。日本の田舎が消えることは、日本が消えることである。

_585  美しい麦畑の上空は春霞。どこからか雲雀のさえずりが聞こえる。

 のどかな風景。麦はすくすく伸びているが・・・・・。

 今日は、午後、従妹の窯を訪ね、帰宅して昨夜の茶碗を仕上げた。

_583  とても扱いにくい土であるが結構面白い。

 何とか高台を削り出した。

 焼成が楽しみである。

 もう一つの黄色い土は叩き皿にしか使えないようなので、少し大きな「叩き四方皿」を作った。

_582  50センチ×35センチ。

 焼成後は、どれほどになるか、こちらも楽しみである。

 ゴールデンウイークの窯焚きを目標にしているが、白地が間似合うか。

 心配ばかりしている訳には行かない。やるしかない。

 明日からまた春の嵐になるらしい。

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2007年3月22日 (木)

土に触れる

 人から見れば極楽とんぼのように見える落柿窯の主にも結構ストレスはある。そんな時は決まって土に触れている。

 若い時には、とてもここまで生きられるとは思っていなかった主も、いつの間にか還暦が近くなった。良くここまで生きられたものだと改めた思う。これも土のおかげかも知れない。土は癒しである。

 今夜は先日従妹からもらった土で轆轤を回した。ちょっと無理があったが何とか形にした。

_581  備前の土とは思えない感触である。しかし、時折見せるこの土の表情は結構面白い。

 グレーの土は形になったが、黄色い土には敗北した。結局叩きで小さな皿を作った。

 この土は叩き皿しか自由にならないガ、あれこれ試してみようと思う。

 先人達の記録を見ていると、土が絶望から立ち上がるきっかけになった話が良く出てくる。実際、土に触っていると、土には不思議な魅力がある事が実感として良くわかる。これは体験した者にしかわからない。

 落柿窯の主は、土に支えられてここまできた。

 これからもきっと土に癒され続ける事だろう。

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2007年3月21日 (水)

春分の日

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今日、彼岸の中日になって、ようやく3月寒波の冬型ガゆるんできた。気温はまだ低いものの、北風が止み南風に変わった。やっと、春の歩みが始まったようだ。

 今日の穏やかな日和に誘われたわけではないが、陶芸三人娘がやって来た。久しぶりである。

 毎日が一人暮らしの落柿窯の主にとっては、若い娘さん達の来訪は華やいだ楽しい時間である。

 彼女達は三人三様、それぞれに個性があって楽しい人たちである。作る作品もそれぞれが個性的。一日があっという間に過ぎた。

 今日は彼女たちの許しを得て、手作りの作品を一部アップする。

_577  今日の手作り作品。このほかに轆轤を使い湯飲み、スープカップ、ビアマグ等を作ったガ、仕上げが少し先になるので今日は紹介しない。轆轤も悪戦苦闘しながらも、形にしたのは見事である。

_578  ご覧のように象の置物、アヒルの楊枝立、スプーン、箸置、ペーパーウエイト(文鎮)など多岐である。

_576  花(バラ)の付いた文鎮。

 陶芸の楽しさを十分に満喫してくれたようだ。

 三月に入り、寒さに震えていた中にあっても、自然は春に向かっていたのだろ。フキノトウは花になり、落柿窯のスギナ畑では土筆が伸びていた。自然の歩みは確実である。

_579

 落柿窯の主は、健康に不安を抱えながらも、今年も春が迎えられる幸せに感謝している。

 これからも、生ある限り、自然と共に暮らしたいと思っている。

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2007年3月20日 (火)

陶芸教室

 落柿窯の工房で、毎月2回、陶芸教室が開かれている。この教室は、落柿窯の主の姉が仲間と一緒に自主運営をしているものだ。言ってみれば親しい仲間が集まって土をひねりながらおしゃべりをする会である。

 主はまだ一度もこの教室の開催日に行きあった事がないので、その実態は知らないが、出来た作品を見るとなかなか侮れないものがある。

 作品は湯飲みから花入れ、食器、表札、手作りの雛人形まで多岐に渡っており、それらは皆、ちゃんと形になっているから驚く。

  今日は、後でお叱りを受けるのを覚悟で、教室の作品群(白地)を無断で紹介する。

_571  いろんな作品達。

 それぞれに個性があって楽しい。

 これらの白地は、春の窯に詰めて焼成する事になる。

_572  食器から表札までアイデアたっぷりの作品達。

 今日は、丁度3月の教室が開かれた日で、表札が何枚か新たに作られていた。上手く焼けると玄関先を飾る素敵な小道具となる。

_573  手作りのお雛様。雑誌を見ながら即座に作ってしまう器用さには脱帽である。

 このグループは陶芸教室のほかに絵手紙教室もこの工房で開いており、仲間内の一人を講師にして、楽しく勉強しているようだ。

 落柿窯の主は、今夜は「食卓の備前焼」を主宰する従妹からちょっと変わった土をもらったので、テストに小さな叩き皿を作ってみた。砂と小石が多く轆轤にはかけられないが、手作りなら何とかなりそうだ。

_570  先に轆轤にかけてみたがとても引けたものではない。

 手作りで形を出してみることにする。

 荒い土のため水が透くかも知れないが、それでも結構面白いと思う。

 当分楽しめそうだ。

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2007年3月19日 (月)

割木のサイズ

 このところの朝の挨拶はいつも「今日も寒いね」で始まる。2月までの温かさがこれで帳消しになった。自然はいつも帳尻を合わせてくる。もうこの辺でこの寒さを終わらせて欲しい。

 今日は、昨日入った割木のサイズを紹介しておきたい。

 備前焼は燃料に赤松の割木を使う事はよく知られているが、割木のサイズまでは知らない人も多いと思う。今日は割木のサイズを見ていだだくことにする。

 備前焼の登り窯あるいは窖窯では、60センチの長さの割木を使うのが一般的であるガ、太さについては、目的に応じていろいろなサイズが使われる。

_567  先ず窯焚きのメインに使われるのはこの大割である。

 この割り木は最初から最後まで正面の焚き口から焚かれるため、最も大量に用意する。五右衛門風呂はこれ一束で湧かすことができるガ、備前の登り窯はこの束を千の単位で使用する。

_566  これは、小割と呼ばれている細く割った割木。

 この割木は窯焚きの最終段階で、窯の側面に開けられた小さな焚き口から投入する割木である。同じ一束でも細いだけに、相当本数は多い。

 小割は細いため良く燃えるので温度は上がりやすいガ、温度のコントロールは微妙である。

_569  この割木は、半割、または二つ割と呼ばれるように、ただ真ん中から二つに割っただけのもの。

 この割木を使う人は少ないガ、温度の上昇が緩やかで良い時に使うと少しは窯焚きガ楽になる。

 一般的に備前ではこの三種類の割木が使われる事が多い。

 落柿窯でもこの三種類を使い分けている。

 今夜は昨夜の徳利を仕上げた。

_565  昨夜ひいた徳利。天候の所為で乾きが早い。今朝、ナイロンをかけて出かけたが、今夜はすでに仕上げ時になっていた。

_568  今夜仕上げた徳利。

 仕上げのタイミングがぴたりであった。

 窯詰めまでもう少し頑張って作らなければ、今少し白地が足りないようだ。

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2007年3月18日 (日)

彼岸の入り

 「春の彼岸が寒いのはいつもの事」と言われても、今年の寒さはちょっと異常。それでも、東京で靖国神社の桜が咲き始めたというニュースが流れている。

 日差しは春なのに、やはり今日も寒い一日。

 そんな中、午後から待っていた割木が入った。割木が入ると窯を焚く心構えになる。今回の割木は乾いたものを持ってきてもらったので、窯詰めさえ終わればいつでも火か入れられる。

 4月の初めから窯詰めを予定しているガ、白地が足りるかどうか心配だ。

_564  この割木が落柿窯の窯焚き一回分。これだけの割木を消費するのが備前の特長でもある。

 作家の登り窯だと、この3~4倍の量を使うのが普通であるが、落柿窯は小さな窖窯なのでこの量でまかなえる。

 考えてみると、備前焼は贅沢な焼き物だと改めて感じる。しかし、この割木がないと、あの備前を焼く事が出来ないのだ。

 この時代、燃料ガ無駄にならないよう、一層努力しなければならない。

 桜にはまだ遠いものの、落柿窯の周辺の田圃は春の田起こしが始まった。そんな田圃の中で一面だけ麦が植えられた田圃がある。最近、このあたりでは麦を作る農家ガめっきり減った。国の農業政策の貧困さがここにも表れている。

_563  早春の陽光に輝く麦畑は何とも心地よいものだ。

 かつては、周囲全てが緑の絨毯だったのに、今ではこの麦畑だけになった。この田圃も、来年また麦を作るかどうかわからない。

 そういえば、ヒバリの声を聞かなくなって久しい。

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2007年3月17日 (土)

本当に3月?、それとも2月?

 今日も冷たい北風。日差しは確かに3月の温かさではあるが、完全に3月と2月が入れ替わったとしか思えない気候だ。

 落柿窯の主のアカギレはますますひどくなるばかり。インフルエンザも勢いを増したとか聞く。この寒さはもう勘弁して欲しい。

 昨夜の、隠崎さんの叩き大皿に出会った興奮が、今日もまだ持続している。

 隠崎さんの大皿とは比ぶべくもないが、落柿窯にも拙い叩き皿がいくつかあるので紹介したい。

_554  叩き長方皿。

 40センチ×20センチ

 中央の2つのボタ抜けに踊ったような細い緋襷が付いている。

_556  小振りの皿。28センチ×15センチ。

 この皿は、以前、兵庫県神鍋高原にあるペンションのオーナーに頼まれて作った皿の片割れ。焼蟹を盛るための皿にすると聞いた。お客さんの評判は上々のようである。

_557  この皿も上の皿と同じ。 

 備前は揃いの焼成にはならないが、何とか工夫して要望に応えるのも、やきもの屋の仕事であろう。

_559  叩き円形皿。

 約30センチ。中を少し削り込んで盆風に仕上げている。2つのボタ抜けに賑やかな緋襷が付く。

 皿としてより盆として使った方が良いかも知れない。

_561  叩き八角皿。(作品集登載)

 一面にボタ抜きガあり、それぞれに、かすかに緋襷が付いている。

 寸法は上の皿と同じで30センチほど。盛り皿として使うと面白いと思う。

_562  叩き長方皿。(作品集登載)

 きれいな胡麻とすっきりしたボタ抜けに付いた強い緋襷。

 個性の強い料理を盛れば良いだろう。

 落柿窯の叩き皿はどれも豪快さに欠けるようだ。もっと備前らしく豪快にと思うけれど、これが主の個性のようで、今更変えようがない。

 このままで行くしかない。

 

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2007年3月16日 (金)

出会いと別れ

 今夜は、この春退職される職場の同僚の送別会であった。40年の長きにわたり勤められた方。落柿窯の主と同じ団塊の世代。定年まで後2年を残しての退職は寂しいが、家庭の事情もあっての事では致し方なかろう。

 この送別会を催した料亭で、すばらしい備前の叩き大皿に出会った。

 なんという豪快な叩き皿か。一瞬息を飲んだ程だ。一見したところ信楽かと思ったガ、聞いてみると隠崎さんの作という。紛れもない備前の叩き大皿である。

_544  この写真を見て欲しい。長さは優に80センチを超えている。厚みは5センチ以上、表面の何カ所かが赤く抜けている。足はなくベタである。

 運びの仲居さんに聞いたら、重くて持てないという。男でも時には二人で運ぶことがあると言っていた。

 今夜はこの大皿に六人分の刺身がのって出た。見事というほかない。

_543  少し角度を変えると表面に入れられたヘラ目が良くわかる。幅広のへラ目が縦横に入り、それが自然な窪みとなり、料理が収まり易いように工夫されている。さすがだ。作ゆきの奥の深さに感心するばかり。

 この仕事は隠崎さん以外では出来ないだろう。

 落柿窯の主は、送別の寂しさよりも、この皿との出会いに大いに興奮していた。

 今夜、我々が入った部屋には、床には脇本さんの花器(ラグビーボール状で左右が尖った花器)に花が入り、床の軸は麻布に描かれた立雛であった。

_548  料理も良し。部屋の設えも良し。ちなみに今夜は膝の悪い主客のために和室にテーブルと椅子を設えてくれた心遣いが嬉しかった。

 この店は天神町にある料亭「はむら」である。

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2007年3月15日 (木)

自然の力ー緋襷

 午後から冷たい雨になった。桜の開花がいつの間にか平年並みに戻りつつある事は良いことだガ、寒さだけはそろそろ勘弁してもらいたい。

 今夜は昨夜の徳利を仕上げた後、戸棚をごそごそ探っていたら美しい緋襷の鶴首を見つけた。

_537  見事な緋襷である。この鶴首徳利は残念ながら落柿窯の主の作品ではない。

 主がまだ窯を持つ以前、足繁く通っていた備前焼作家の元で修行していたある女流陶芸家の作である。

 焼成は作家の登り窯。器体全体に巻かれた稲わらが、そのままの形で緋襷となって、はっきりと付いている。肌は白くはないが、これほどの緋襷が付くと、少し色が付いている方が似合っているように思える。

 形も女流らしく端正であり、どこにも破綻が見られない。強いて言えば、備前鶴首としてはやや頸が短い。

 主はこの鶴首を見るたびに、当時憧れであったこの陶芸家を懐かしく思い出す。

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2007年3月14日 (水)

酒器を作る

 身体と精神の疲れはいかんともしがたいが、今、主を癒してくれるものは土しかない。

 今夜も轆轤の前に座った。

 落柿窯の主は全く酒が飲めない。いわゆる下戸である。酒は嫌いではないが、どうも体質に合わないようで、飲むと苦しいばかり。時としてジンマシンに悩まされたりもする。

 こんな主が、酒器など出来ようはずがないと思われるかも知れないが、主はイメージの中に入り込んで酒をくらい、徳利やぐい呑みを作る。こんな主が作った酒器でも結構使えるから不思議である。

 最近は徳利を使って酒を飲む事など一般家庭ではまずないが、それでも備前の酒器は使ってみるとすこぶる良い。

 備前の良さは花器と酒器が双璧である。酒器は花器ほど日常的に使わる事はない。しかし、備前の中で、酒器ほど使う程に趣の出る器はない。もっと使って欲しいものだ。

_532  今夜の作品は徳利。

 備前の徳利は、通常2合徳利が普通だ。茶席では肩付きのお預け徳利が好まれるようだが、主は丸い形を好んで作る。

 轆轤を始めて間がない頃、初めて徳利が引けた時のうれしさは、未だに忘れない。

_530  徳利形成のポイントは口造りだ。口で作品が決まる。それほど口造りは難しい。

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2007年3月13日 (火)

継続は力

 今日も寒さが続いている。落柿窯の主の手にアカギレが復活した。絆創膏を貼っていては轆轤ガ上手く引けないので、そのときは取るがやはり痛い。こんな日は陶芸の楽しさも半減する。

 今日も昨日の鉢を仕上げただけで切り上げた。

 10年ほど前までは落柿窯の白地は2-3月あれば窯がほぼ満杯になるだけの数を作っていたが、今や1年かけてもなかなか定量が作れなくなった。それでも時間をかければなんとかなるもので、今も少しずつ白地が増えている。

 まさしく「継続は力」である。

_524  今夜仕上げた高台を付けた鉢の姿。

 あまり薄くはしていないガ、全体のバランスは良い。

 高台を付けると鉢らしくなった。

_528  高台の様子。

 大きな高台ではない。あくまでバランス良くしたつもりだが、どうか。

_527  サラダボールの見込み。

 グリーンサラダが似合うはずだが、夏はそうめん鉢としても良かろうと思う。

_525_1  もう一つの擂り鉢の全体の姿。

 高台は中心を削り込んだ。

_529  この削りの方が安定して落ち着きが良い。

_526  擂り鉢の見込み。これだけ櫛目があれば何とか実用に耐えるのではないかと思っているが、なにぶん実用の擂り鉢を作るのは始めて。

 使って見ないと何とも言えないのが正直な所である。

 これからも主の牛歩の歩みは続く。

 「継続は力なり。」頑張らずに頑張ろう。

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2007年3月12日 (月)

実用の鉢

 今日、3月12日は奈良東大寺二月堂の修二会(お水取り)がクライマックスを迎える日。この行事が終わると一歩春に近くなるガ、このところ寒の戻りが続き春が遠のいたようである。

 落柿窯の主は、今夜も少し轆轤を回した。陶芸は寒い時期には辛い仕事だ。寒いと手がかじかんで感覚が鈍る。今夜は鉢を二つひいただけで早々に切り上げた。

 今日の鉢は、一つはサラダボール。もう一つは擂り鉢である。どちらも実用を考慮して形成した。

_522  八寸ほどの鉢。イメージではたっぷりのグリーンサラダを盛るサラダボールだ。べた高台ではなく、少し高めの高台をつけようと思う。

 縁に少し反りを持たせ、すくった時サラダが外に飛び出さないようにしている。ちょっとした工夫だが、サラダボールとしては大切な事だと思う。これは食器作家のNさんに教わった。

_523_1  こちらは備前の実用擂り鉢である。備前の擂り鉢は、ほとんど櫛目が入らない。しかし、実用となるとやはり櫛目があった方が良いはず。

 ただ、この形は落柿窯の主がテーマとしている擂り鉢ではない。これはあくまで実用の擂り鉢である。この擂り鉢は約一尺ある。

 今日は寒さに負けて二つの鉢をひいただけでやめた。

 早く暖かい日和になって欲しいガ、天気予報ではこの先も断続的に寒の戻りがあるという。自然が暖冬のツケを解消しようとして揺り戻しているようにも見える。

 やはり自然は凄い。

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2007年3月11日 (日)

北風と太陽

 今日は一日冷たい北西の風が吹いた。3月に入り2度目の冬型の天気。それでも、自然はちゃんと3月の日差しを与えてくれる。風は冷たいものの、陽光は3月の温かさだ。

 落柿窯の周りの田圃も、ようやく冬の眠りから覚めようとしているように見える。

_519  寒の戻りの中でも3月の日差しは明るい。ずっと湿り加減であった田圃も次第に乾いてきたようだ。もうすぐ春の農作業が始まる。

_520  落柿窯の柿の木の上空の青空。確かに冬とは違う。北風に負けない強さが見える。

 寒い寒いとばかり言ってはいられない。遅れている窯焚きの準備を急がねばならない。

_517  今日は、約束した知人を待ちながら、昨日轆轤形成した花生けを仕上げた。もちろんストーブを焚きながら。

 耳を付け、ヘラ目を入れるのはやはり難しい。なかなか思うようにいかない。これで作品の生死が決まるといっても良い程重要な作業だ。

_518  現在の白地の状態。まだ足りない。後、3分の1ほどか。

 焦らず作るしかあるまい。

_521  3月の陽光は木漏れ日となって茶室に降っている。

 仲間と茶を楽しむ暖かい春が待たれる。

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2007年3月10日 (土)

抵抗する冬

 やっと寒の戻りから解放されたと思ったら、またしても低気圧がやって来た。今日は、午後から曇り空に変わり、夕方から雨が落ちている。天気予報では、この後、またまた寒くなるらしい。2月が暖かかっただけに、3月に入ってからの寒さ身にしみる。

 午前中、落柿窯の周りの春を見て歩いた。今サクランボの花が満開である。

_509  落柿窯のすぐ近くに植えられているサクランボの木。2本あるが、今が丁度満開。薄いピンクの小さな花だ。

 

_516  畑には収穫されずに残された野菜たちが花を開き始めた。

 野菜の花は可憐なものが多い。

 花芽を食べる楽しみもあるが、見ていると不思議に心が和む。

_510  日本水仙が終わり、ラッパ水仙の季節になった。畑や庭の隅で可憐な花を咲かせている。今はまだ咲き初めだが、これからいろんな種類ガ楽しめる。

_515  落柿窯のラッパ水仙。今年も元気に芽を出し花を開いてくれた。

 この株には数種類の水仙が混じっている。これからしばらくは花を楽しむことができる。

 今日は午後から久しぶりに轆轤を回して花生けを少しひいた。

_514  午前中、親しい大御所の作家さんを訪ねた時刺激されたのかも知れない。花生けをひいたのは本当に久しぶりだガ、花の好きな主は花生けを作るときが一番の楽しみである。

 備前の花生けは花を生かす。特に野の花を生けるとこれ以上のものはない。

 春に向かう3月は天候不順がいつものことだが、暖かい春が早く来て欲しいと願うばかりだ。

_511  春を待つ落柿窯の茶室。

 モミジが芽吹く春が待たれる。

 

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2007年3月 9日 (金)

備前・胡麻の魅力

 備前焼の魅力の一つに胡麻があることは度々書いてきたガ、今日は具体的な写真をアップする。この写真の作品は、いずれも落柿窯の作だ。

 胡麻は松割木の灰であるが、この灰が温度によっていろいろに変化するのが備前の胡麻の魅力である。

_505_1  先ず最初は、お馴染みの流れ胡麻。

  高温のため灰が溶けて流れたもの。温度が1100度を超えると胡麻が溶け始める。窯の焚き口から胡麻の溶ける状態を見ながら火を止める時期を計る事になる。

_502  良い加減の胡麻の状態。この程度の溶け具合が丁度良い。上品な胡麻である。

 これ以上温度が上がると流れ始める。

_506  胡麻が溶ける前の状態。備前ではこの胡麻を「かせ胡麻」と呼ぶ。いわゆるかせた胡麻の状態である、もう少し温度が低いと肌に付いた胡麻がとれてしまう事が多い。

_503  窯変玉垂れ胡麻。高温のため肌は窯変となり、その上から胡麻が筋状に流れ、先端が玉状になる。これは胡麻の中でも貴重である。

_504  この胡麻も上と同じで、窯変の上に筋状の胡麻が流れているガ、こちらの方は、縦横に流れている。こんな胡麻垂れはほとんど出ろ事がない貴重なものだ。

先端の玉も大きくて迫力がある。

_499  この流れ胡麻も見事な文様を描いている。

 胡麻は一重とは限らない。焚き口に近い所では何重にも重なっている事が多い。

_500  上の平徳利のもう一方の胡麻の状態。どちらが表か裏かわからない胡麻が付いているがこちらが表である。

_498  大平徳利の全体。(写真集に登載)こんなに胡麻の見事な作品は落柿窯でも珍しい。

 胡麻好きにとって垂涎の的になる備前の胡麻はそれぞれ異なる。

 上品な胡麻を好む人、流れた胡麻を好む人、何故か、かせ胡麻ばかりを愛する人、それぞれに求めるものは違っても、胡麻好きの人に備前通が多いのも事実である。

 

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2007年3月 8日 (木)

春の海

 寒の戻りの寒さの中でも、季節は確実に進んでいる。こんな寒い日は、特に暖かい雰囲気のブログにしようと、今日は海の写真を持ち出した。

 春というと、なんと言っても「与謝蕪村」。この俳人にはなぜか春がよく似合う。蕪村さんの句は、四季それぞれにあるけれど、春の句が印象深いのは、必ず教科書に載っているためなのかも知れない。 

 「春の海 終日のたり のたりかな」。この、あまりにも有名な蕪村さんの句に合わせて、春の海の写真をアップする。

Img_11  この写真の場所は瀬戸内市牛窓町。

 季節はまさしく春。暖かな春の光に穏やかな海が輝く。

 左上に見える堤防は海の中の一文字波止。荒波から港を守っている。この上は恰好の釣り場。

 牛窓は、かつては朝鮮通信使の寄港地であった。今もその名残が「唐子踊り」の行事として残され、往時を忍ばせる。

 現在、牛窓には須恵器の里・寒風に陶芸村が開かれ、若手から重鎮までの特色ある陶芸作家が活躍しているが、この村では備前以外の作家も在住しているのが嬉しい。

 今の季節、牛窓では、名残の「牡蠣」と春の味「ベラタ」(穴子の稚魚)が味わえる。

 牛窓の魅力はつきない。「日本のエーゲ海」と呼ばれる場所である。

 

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2007年3月 7日 (水)

美しい国の文化

 美しい国の美しい春を目の前にして、この冬最後(?)の寒波がやって来た。北国は大荒れになっている。

 それにしても、今回の寒波がこの冬最後のあがきになるだろう。春はもう目の前だ。

 先日、いつものCD屋さんで「ラ・ジャポネーズ」と題するアルバムを見つけて買って来た。

 このアルバムには日本の美しいメロディーが12曲集められている。みな懐かしいお馴染みの曲ばかり。「花音」、「花」、「さくら」、「ゆりかごのうた」、「通りゃんせ」、「浜辺の歌」、「赤とんぼ」、「この道」、「荒城の月」、「宵待草」、「七つの子」、そして最後に再び「花音」。

Img_10  演奏はバイオリニストの川井郁子さん。

 彼女の官能的な音色が美しい日本の歌をより一層際だたせている。

 落柿窯の主は、このCDを子守歌変わりに聞いているが、そんな折、職場の方から南米ペルーのラテン音楽の音源を頂いた。

 これを聞くと日本とペルーの国民性の違いが歴然としている。

 どちらの音楽にも、それぞれの国の歴史、気候・風土、自然、人々の生活などがはっきりと感じられるガ、特に、日本文化の特異性が際だって来る。

 音楽以外の、たとえば陶器を見ても、中国、韓国、東南アジア、ペルシャ、ヨーロッパ、そして日本を比べるとその違いもまた明らかである。

 それぞれの国の自然、歴史、社会、国民が、それぞれの文化を育んでいることがはっきりとわかる。

 今の日本の社会は、果たして、今までのような美しい文化を育んで行く土壌となりうるか。

 今は、はなはだ疑問だ。

 この国の指導者が「美しい国」を作ると言ってはいるが、現実の政策を見ると、全く逆転しているとしか見えない。

 果たして、この国の美しい文化は今後どうなってしまうのか。

 やきもの屋ならずとも、大いに気になるところである。

 

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2007年3月 6日 (火)

自然は気まぐれ

 啓蟄の今日、自然は気まぐれにも真冬の寒さをつれて来た。このところ初夏を思わせる日もあっただけに、季節がまるで三ヶ月も逆戻りしたかのようなこの寒さは身こたえる。

 昔から三寒四温とはよく言ったもので、いくら異常気象の年であっても、いきなり春にはならない。

 やはり、東大寺二月堂のお水取りが終わらなければ春ガ来ないのが日本の自然なのである。

 しかし、今年はこの後、一気に春が来る気配が感じられるのもまた確かである。

 今夜は、昨夜仕上げのできなかった湯飲みを仕上げた。天候の所為で乾きが今ひとつであったために、いくつか潰すはめになったが、それでもどうにか高台を削り終えた。

_497_1  いつもの事ながら、落柿窯の湯飲みは、みな同じ雰囲気になる。

 たとえ、たくさんの湯飲みの中に混じっていても主にはすぐわかる。

 これは落柿窯の主だけのことではない。誰の作品でも、作者の個性や人間性がそのまま作品に現れるので容易に判別できるのである。

 これは考えようにいよっては怖いことだ。

 焼き物は決して芸術ではないが、作者の個性や人間性が作品に投影される以上、作者は常に自己を磨く必要がある。

 技術の習得もさることながら、それ以上に己を磨くことが求められている。

 そうでなければ、使ってくれる人に、感動と使う喜びを与えることはとうていできないだろう。

 修行に終わりはない。絶えず己を磨き、技を磨こう。

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2007年3月 5日 (月)

昔の作品

 「こんな時代もあったねと・・・」まるで中島みゆきの歌が聞こえてきそうな昔の作品が出てきた。

 今日、昨日の湯飲みを仕上げるつもりでいたが、天候の所為で乾きが悪く、高台が削れなかった。変わりに棚の奥からずいぶん前の大徳利が出てきた。

 たぶん20年近く前、主が陶芸を始めた頃の作品のようだ。懐かしい陶印である。形はともかく焼けはなかなかのものだ。早速、庭の椿を手折って挿し床に置いた。

_494  白の藪椿との相性もなかなか良い。

_495  表は窯変らしき文様。裏は全面胡麻。焚き口の下に転がして焼いたものである。

 すっかり忘れていたが、これはたぶん主が窯を持つ前の修行時代に、友人の窯で焼いてもらった作品だと思われる。

 こんな時代もあって今がある。

 この徳利を見ていると、今までいろんな人に助けられ、教えを乞いながらここまでこられたのを改めて感じる。

 今日は懐かしさと共に、これからの道程を想う日になった。 

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2007年3月 4日 (日)

雛の季節

 昨日、3月3日は桃の節句。雛祭り。昨日は鬱陶しい天気だったが、今日はうって変わって穏やかな暖かい日差しが降っている。

 落柿窯の茶室も雛の装いに変わった。

_483_1  雛の軸に白の藪椿。窓からは春の光か注いでいる。

 花生けは落柿窯作の小降りの鶴首。

_482  雛の軸。上部に

「春の苑 くれなゐ にほふ 桃の花 した照る道に いで立つ をとめ」(万葉集 大伴家持)の賛がある。

 落柿窯のある里では、かつては旧暦の雛祭りであった。小学生の春休みの期間だったと思う。子供たちは雛飾りのある家に勝手に上がり込み、雛壇の前にお供えしてあるご馳走を荒らし回るのが楽しみであった。

 時代は変わり、今は全くそんな風習はなくなった。地域のふれあいがだんだん希薄になっている。それに伴って美しい日本も消えてきた。寂しい限りである。

_484落柿窯の茶室の周りにも穏やかな春の光。

_485  蹲いの前の苔むした雪見灯籠の周りは、枯れ葉と椿の落花で埋もれているガ、ここにも暖かい木漏れ日が降っている。

 今日は本格的な春を思わせる日和だが、天気予報に寄れば、明日はまた低気圧がやって来て、荒れ模様の天気になるという。

 三寒四温。春はもうそこまで来ている。主の好きな季節。枯れ草の中からのぞく緑が良い。

_488  工房の横で「ふきのとう」が顔を出したと思ったら、もう花になっている。温かさが急である所為か。

_490  庭のしだれ梅。大きな木になっていたのに上部が枯れてしまい、今は低いところに花をつけるだけになった。再び元気になって欲しいものだ。

 夕方になって、やっと轆轤の前に座った。遅れている仕事だがなかなか思うように進まない。それでも今日は湯飲みを差し板一枚分引いた。

_491  少しずつでも白地を作っていくしかない。

 体調と相談しながらのんびりやろうと思う。

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2007年3月 3日 (土)

宝瓶談義

 落柿窯の主は週末になると決まって「ぐうたら」になる。今日も昼過ぎまではほとんどダウンしていたガ、夕方になって親しい陶芸家が訪ねてくれたおかげで、どうにか少し元気を取り戻した。

 陶芸家とは、いつかブログで取り上げた宝瓶の口とお茶の出る穴についての話に終始した。

 落柿窯にあるいろんな作者の宝瓶を持ち出して、ああでもない、こうでもないと宝瓶談義に花が咲いた。

 焼き物の話になると主は急に元気になる。宝瓶に水をいれては注ぎ、水の出方を確かめる。結論はいつも同じ。

 修行中の若い陶芸家には伝授するが、ここでは公表しない。口の形については、以前アップしたブログを見て欲しい。

_480  今日、実験に使った宝瓶たち。

 結構な数になった。この中で水切りが良いか悪いか、見ればすぐわかる。

_481  感動的な穴の数。穴の数は多い程良いとされるが、さすがに、これだけ開けるのはとても人間技とは思えない。

 ちなみにこの宝瓶の大きさは、ピンポン球ほどしかない。

  宝瓶造りの名人の作である。

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2007年3月 2日 (金)

徳利ーその2

 今日は暖かい日和。気象庁の発表によると、この冬は観測史上最も気温が高かったという。こういう冬もあって良いが、経済には影響が大きい。暖冬倒産がでなければ良いのだが、心配になる。

 さて、今夜も徳利の続き。

 落柿窯の主の技量では、職人さんのように同じものは作れない。みなバラバラである。

_474  らっきょ徳利。

  4合近く入る。全体に黒く焼けている。

 備前ではこの形を「らっきょ徳利」という。

_476 肩に胡麻のかかった備前らしい徳利。備前ではこのタイプの徳利が一番多い。 

 備前の入門コースに最適かな。

_478  備前では細身でなで肩の徳利を「女徳利」という事がある。

 この徳利はそれに近い。もう少し細身だと完全に女徳利であるガ、この形はらっきょ徳利である。

 女徳利は備前の雰囲気ではないので作る人は少ないようだ。

_479  細身の肩付き緋襷徳利。 全体がサヤに入った状態で焼かれたため炎の洗礼を受けず、緋襷のみの焼成である。

 細身ではあるが、肩が付いているため肩付きのお預け徳利と言える。この緋襷はあまりきれいなものではない。

_477  最後に、温度が上がり過ぎて土が死んでしまった徳利をアップしておく。

 こうなると備前はお終いである。表面がピカピカでガラス化した状態になっている。光り物が好きな人には良いかも知れないが、備前焼としては失敗作である。

 これで今回の徳利の巻を一応終わる。、

 また次の機会まで「徳利よさらば」だ。

 

 

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2007年3月 1日 (木)

かぶせの徳利

 酒飲みは備前が好きだ。飲み出すとぐい呑みを片手に備前焼について必ずひと講釈あるといって良い。

 備前の中でも特に徳利とぐい呑みにはうるさい人が多い。好きな人は備前の徳利を抱いて風呂に入り、撫でさすりながら愛でるという。

 それほどではないにしても、使うほどに趣を増す徳利とぐい呑みは備前の中で最も愛される存在である。

 今日はそんな徳利の中から、「かぶせ」焼成した落柿窯の作品をいくつか紹介する。

_471  良く焼き締められた徳利。「かぶせ」は徳利の口にぐい呑みや湯飲みをかぶせて窯詰めすると直接炎の洗礼を受けない部分が白く抜ける。時としてその部分に緋襷が現れる。

 胴と口のコントラストが良く出ている。頸の緋襷も良い。

_472  頸が短く胴が丸い徳利。何となくかわいさがある。

 焼けは少し甘めであるが、その雰囲気がまた良い。

 この徳利は酒が美味くなりそうである。

_473  肩付き徳利。

 頸から肩にかけてねっとりした赤い緋襷が付いている。

 肩に降った胡麻も窖窯特有の上品な胡麻だ。

 備前の徳利は、だいたい酒が2合はいるのが普通。酒飲みは飲み過ぎに注意しよう。

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