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2006年12月31日 (日)

2006大晦日

 2006年も後数時間で終わる。今日はすばらしい晴天になった。大晦日とは思えない温かさだ。朝から墓参り、買い物と忙しかったが、近くに住む姉が手伝いに来てくれたおかげで、何とか迎春の準備が整った。

_291 落柿窯の玄関飾り。

紅白に染め分けた扇が華やかな初春を演出する。

_284 床の間の設え。

この軸を架けると正月を迎える気分になるから不思議だ。かつては、しめ縄を架けていたが、今では注連飾りが一つ。ちょっと寂しいが、神様にはこれで我慢してもらおう。花は千両に松と梅。

_289 茶室の軸も若松に変えた。花は梅の一枝と水仙。

_290 昼、従弟が自家栽培のミカンを届けてくれた。いつも一人暮らしの主を気遣ってくれる。感謝、感謝。

今年はどういう訳かミカンの値が上がっている。

これで美味しいミカンがたらふく食べられる。

_286 2006年12月31日の落柿窯の柿の木。冬とは思えない青空。

今秋、たくさんの実をつけてくれた柿の木にも感謝。。

_287 赤煉瓦の煙突と青い空。このコントラストはいつ見ても美しい。

2006年が暮れる。2007年が良い年であることを祈ろう。

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2006年12月30日 (土)

年の瀬に

 今日は昨日の寒さが嘘のような穏やかな日和になった。この時とばかり、午後から廊下のガラス戸や窓ガラスを拭いた。1年ぶりである。毎年、ガラスを拭くと正月を迎える実感が湧いてくる。ガラスの部分が多いので2時間ほどかかってどうにか仕上げた。水拭きのため手の感覚がなくなってしまったが今日は暖かくて助かった。

 夕方 従妹が先日焚いた窯に入れてくれた七福神を持ってきてくれた。結構良い焼けに上がったいる。

_279 体長10センチほどの小さな神様達。それぞれ表情が豊かでおもしろい。

恵比寿、大黒、毘沙門天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋。

どの神様も、中国から渡って来た日本の神様である。新年を目の前にして七福神が勢揃いしたことはとても縁起が良い。

_278 神様一人一人の表情がおもしろい。布袋も福禄寿も弁財天もそれぞれが表情豊かである。

_282 布袋はメタボリック・シンドロームのおなかを抱え、それでも表情豊かに笑っている。

_283 大黒は打ち出の小槌を掲げて、宝くじの幸運をもたらしてくれるべく微笑んでいる。

七福神が年の瀬に勢揃いしたのは、来る年、落柿窯に幸運が訪れる兆しであって欲しいものだ。

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2006年12月29日 (金)

もういくつ寝ると・・・

 子供の頃、正月が来るのが待ち遠しかったが、この年になると正月は暦の区切りでしかない。そろそろ正月を迎える準備をしなければと思いながら、この寒さと先日来の腰痛で思うように体が動かない。まあ掃除は出来なくても正月は来るからいいか。

_277_1 正月休みの期間で遅れている作陶に励もうと思ってはいるが、生来の怠け者の主のこと、どうなることやら。

今日は正月用の茶碗を出した。 

京焼きの茶碗。絵柄は、松に雪、そして初咲きの水仙。正月らしくてちょっと気に入っている。

 子供の頃、正月を迎える準備はもっと風情があった。餅をつき、注連飾りを造り家のあちらこちらに取り付けた。正月は神聖なものであった。

 今や多くの日本の文化が変容してしまったが、主にとって正月もその一つになってしまったようだ。自省せねばならぬ。             

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2006年12月28日 (木)

轆轤とモーツアルト

 今年はモーツアルト生誕250年ということで世はまさにモーツアルトブームである。落柿窯では主が音楽好きなので、工房ではいつも音楽が流れている。今まで主が轆轤をひきながら一番合うなと思ったのはモーツアルトであった。モーツアルトの曲はどれも轆轤の回転に呼応する。あのf分の1ゆらぎが作用するのだと思う。

 今日久しぶりに馴染みのCDショップに寄ったところ、「松田理奈」というバイオリニストのデビューアルバムを見つけて買ってきた。彼女はモーツアルトがお得意のようだ。

Img_4 Img_0001_3

 これがアルバムの広告。今、早速聞いている。いろいろな音楽コンクールでトップの成績を収めているだけに実力は相当なものと思われるが、主には良くわからない。しかし、とても好感のもてる演奏であることは確かである。

_275 モーツアルトに癒されながら、昨日ひいた碗を仕上げた。

今夜は特に寒いけれど、寒さを忘れさせてくれる演奏を楽しんでいる。

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2006年12月27日 (水)

碗の形ーサラダボール

 昨日から今朝にかけて冬とは思えない低気圧が日本列島の南岸を駆け抜けた。近畿から東海、東日本にかけて、雨量計はこの時期としては記録的な値を示している。今夜から強い冬型の気圧配置に変わる予報だが、これもあのエルニーニョ現象の仕業だという。

_259 今日、日中は穏やかな日差しが心地良かった。

茶室の躙口にも柔らかい日差しが注ぐ。こんな穏やかな日ばかりであればいいのに。

 今夜は再び碗をひいた。少し大きめのもの。サラダボール程か。

_274 新しいテーマは奥が深い。形にこだわれば形が逃げてしまう。なにものにもとらわれない「無心」が求められるが実践な難しい。まず心を磨くことから始める必要がある。しかし凡人の主にとってはとうてい無理というもの。まあ気長にやろう。

_273 先日仕上げた碗。何とか形になっている。それにしても大変なテーマに引っかかったものだ。碗には擂鉢とはまた違った魅力を感じる。出口は見えないが「道元」好きの主の気持ちを擽り始めている。

 当分、碗から離れられそうにない。

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2006年12月26日 (火)

お気に入りの器ー粉引

 落柿窯は備前を焼く窯であり、もっぱら焼締め陶に専念しているが、主は陶器ならほとんどの焼き物が好きである。磁器も嫌いではないが、土のぬくもりが感じられる焼き物を特に好む。

 特に粉引には愛着を感じる。粉引の作品をたくさん持っているわけではないが、今お気に入りの食器がこれだ。

_270 輪花小鉢。型押しで成形している。

この鉢は、今は亡き目利きの大先輩が持っていた5客揃いの中から2客をプレゼントしてくれたものだ。今となっては形見となってしまった。大きさも手頃で何かとよく使っている。

_271 この湯飲みは唐津で焼いている作家、中里隆さんの初咲湯飲み。  

 初々しいふくよかと優しさが心を和ませてくれる。使っていると温かさが伝わってくる。

 残念なことに使いすぎて数が減ってしまった。同じ形の湯飲みを買い足したが、この湯飲みほど形も風情も良くない。惜しいことをしたが、このはかなさが焼き物の魅力でもある。

 お気に入りの食器を使う度に心が豊かになれる。主もこんな食器を焼きたいものだ。

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2006年12月25日 (月)

碗の形ーその2(習作)

 昨夜から腰の具合がおかしいと思っていたら、案の定、今日は腰痛で辛い。落柿窯の主はきわめて自然人なので、めったに腰痛になることは無い。しかし今日は一日きつかった。仕事中も満足に動けない。夜帰宅してすぐに横になりたかったが、昨日轆轤成形した碗の仕上げが済んで無かったので夕食後ちょっと無理をした。

_265 差し板1枚分何とか仕上げた。

両手で水を受ける形は単純なだけに難しい。主の拙さもあるが、なかなか思い通りの形に仕上がらない。

第1回目の習作としてはこんなものか。

_267 加飾を捨て器の持つ本来の姿に返すことは、紹介文の作者が言うように、虚飾に慣らされた現代人には難しいことを実感する。

_268_2 祖形である以上、もちろん高台は無い。いわゆるベタ高台である。

この器を両手に抱くとき、優しさと安らぎが感じられるものであって欲しいと願う。

 落柿窯の主の技量で、どこまで表現できるかわからないが、主にとっては、またしても課題が一つ増えた。主に残された時間がいかほどあるか不明だが、当分精進の日が続くことは確かである。

 

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2006年12月24日 (日)

碗の形

 今日インターネットを見ていたら、備前焼作星正幸氏の碗の形について紹介してあった。碗の形はいろいろあるが星さんの形は僧侶が托鉢の時に用いる碗の形をイメージしていると言う。

 人が両手で水を受ける時に出来る形を写したものが碗の祖形であり、星さんが作る碗は、加飾を極限まで削りに削った姿であると記している。。

 落柿窯の主にこれが出来るか挑戦してみよう。_264

両手のひらを合わせた形をイメージしながら轆轤を回したらこうなった。仕上げるとどんな形になるかイメージを膨らまそう。

 

 紹介文には、星さんの碗の姿は「哲学的思索に人の心を誘う」とある。とうてい主の力の遠く及ぶところでは無い。

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2006年12月23日 (土)

冬至の頃

 今日は朝から青空が広がった。寒空に気球が浮かぶ。のどかな冬晴れの日。午後から若い友人が轆轤体験にきてくれた。若い人たちとの会話は楽しい。夕方まで薪ストーブの工房で遊んで帰って行った。入れ替わりに女流陶芸家が来訪。引き続き楽しい一時を過ごす。人が集まってくれることは一人暮らしの主にとってはありがたいことである。感謝。感謝。

_258 冬晴れの青空に浮かぶ気球。天候が安定したこの時期が絶好の気球日和だが、上空は寒いだろう。

冬至の声を聞いて少し天候が安定してきたのか、晴れの日が多くなった。

_263 若い友人達の湯飲みと主がデモンストレーション用に作った輪花鉢。初めて轆轤を体験したとは思えない出来の湯飲み。続けて練習すれば将来有望だ。

_262 今日は、比較的暖かい日和であったが、工房では一日中薪ストーブが燃えていた。波長の長い鋳物ストーブは体の芯から穏やかに暖めてくれるため、誠に心地よい。

芋焼き器をストーブに乗せておくと、おいしい焼き芋ができるのも、みんなの楽しみの一つとなっている。

_261 畑の柚もほどよい大きさになってきた。今夜はゆず湯を楽しもうと思う。

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2006年12月22日 (金)

古備前の水指ーその2

 今日は、いよいよ水指本体を紹介する。まず全体の写真。

_246 全体を見ると、とてもかわいい形をしている。耳も小さくかわいい。上から胡麻が降り、融けて流れている。

明らかに登り窯による還元焼成である。轆轤やヘラの使い方は豪快であるがそれを強くは感じない。

_251 蓋には二つのボタの後が見える。

この時期の作品は桃山に比べ豪快さが薄れ技巧が目立つようになる。

蓋のつまみも耳も技巧が目立つが、全体にとてもかわいく仕上げてある。

_250 腰の張りはふくよかだが、角をそぎ落とした底の仕上げには感服する。

流れた胡麻はすべて良い位置で止まり、見事な景色となっている、

土は水簸では無くほどよい土味がでている

_256 矢筈口の周りも穏やかでおおらかだ。

それにしても、胡麻のかかりが見事である。

あまり大きくはないが、それでも運び用としては無理がある。やはり置き水指であろう。

茶人の手から手に渡った歴史の味わいが、なんとも心地よい水指である。

 こんな良い水指でお茶を楽しむ日があれば幸せであろう。

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2006年12月21日 (木)

古備前の水指ーその1

 今日は、古備前の水指を紹介したい。一般には古備前の水指を間近で見ることなどほとんど無いが、今回、幸運にもその機会を得た。この感激を独り占めにするには忍びないので、ここで紹介することにした。

 今日、一度で紹介するにはあまりにもったいない。今日、明日の2日に分けようと思う。

_247_1 良質の桐箱の表に、備前では知らない者がいない桂又三郎さんの独特な字で

「古備前  共蓋耳付矢筈水指」

とある。

この箱書きを見ただけでも大いに期待が高まる。

_245 箱の裏は残念ながら四方桟ではないが、かつては二方の箱も多かったようだ。

朱の落款の後に、「江戸末期之作」とある。

次に寸法が記された後、陶印が明記されている。この陶印は古備前ではよく目にするものだ。

 最後に「桂又三郎」と「花押」が墨書されている。

 今日はここまで。明日を楽しみにして欲しい。

 

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2006年12月20日 (水)

炭を探す

 落柿窯では毎年冬季に約10キロほどの炭を使う。備前焼を焼くためのものではなく、もっぱら茶室の炉と座敷に置いている置炉用である。

 そのほかにも落柿窯では室内のあちこちに炭が置いてある。竹炭や備長炭だ。炭は水を浄化し、空気を浄化し、臭いを吸着すると言われる。自然志向の主は、これを見逃すはずはなく、玄関、トイレ、冷蔵庫、座敷等々あらゆるところに置いている。一時は炊飯器にも入れていたことがあるが、今は水が良くなりそれはやめた。

 先日炭箱を見ると炭が底をついている。早速近くのホームセンターに買いに行ったが良い炭は無い。アウトドアのバーベキュー用の炭ばかりである。この炭は屋内では使えない。良い炭が手にはいるまで、なけなしの備長炭で急場をしのぐしかあるまい。

_243 玄関に置いている竹炭。備前の壺にさしてある。

 この竹炭は知人にいただいた。

 この方は、自分で炭焼き窯を築いて竹炭を焼いている。その上、登り窯で備前も焼いている趣味人だ。

_244 落柿窯の炭は、この箱で底をつく。後2キロのみ。週末、何軒かホームセンターを回って見ることにする。

 炭は現在ほとんどが中国や東南アジアからの輸入である。日本のアウトドアブームのあおりで、あちこちのマングローブの森が消えていると言う話を聞くと心が痛む。

 中国からは備長炭の輸入ができなくなった。これも、中国の森が荒れてきたためだという。主も含めて、日本人は、自分達の楽しみのために自然破壊を助長しているのだということを十分に認識する必要がある。

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2006年12月19日 (火)

コーヒーの楽しみ

 落柿窯の主は大変なお茶好きであるが、コーヒーにも目がない。お茶と同じくらいコーヒーも飲んでいる。

 コーヒーを味わう楽しみの一つに、お気に入りの器で飲むことがあげられる。いかに美味いコーヒーでも器が良くいないと台無しになる。それほど器は大切な役目を果たしている。

 茶道具でも食器でも同じことがいえる。

 落柿窯の主は、お気に入りのコーヒーカップでコーヒーを楽しむことを知ってから、少しずつカップを集めだした。今ではけっこうな数になった。決して高価なカップではないが、集めてみるとそれぞれ個性があっておもしろい。その上、お気に入りのカップで味わうコーヒーの味はまた格別である。

_242 主が愛用するコーヒーカップの一部。

陶器あり、磁器ありで産地もバラバラだ。

京都も有田も地方の民窯もいろいろある。主はこれらに全くこだわりが無い。ただ、安価でお気に入りのカップであればそれでよい。

 茶道具と同じで、名品など一つもないが、お気に入りのカップで味わうコーヒーは至福の時を与えてくれる。

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2006年12月18日 (月)

水仙の季節

 今日は天気予報の通り寒い一日だった。朝の気温も零度近くまで下がった。そんな中、落柿窯の庭で、工房の周辺の日だまりの中で、水仙が次々に清楚な白い花を開き始めた。かすかに香りが漂う。日本水仙は我が国の固有種ではなく、中国あたりか渡来したものが広まったようだが、今では日本中どこでも見ることができる。有名な越前海岸へ行くと、日本水仙発祥の地とある。球根が流れ着き繁殖したのであろう。海岸線は山の上まで一面の野生の水仙で覆われている。この時期から一月にかけて見頃を迎える。主の知る限り、越前海岸と淡路島黒岩の水仙が双璧であると思う。

 日だまりの水仙を備前の花生けに生けた。

_240 先日は、初咲きを茶室に生けたが、あれからずいぶん茎ものびて、今では大きめの花生けに入れても様になる。暖かい気温か幸いしているのだろう。

玄関が良い香りに包まれるのも気持ちが和む。

備前は本来花を選ばないが、清楚な花が特によく似合う。

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2006年12月17日 (日)

名残の柿

 昨夜の雨が上がり、今朝から穏やかな晴天になった。天気予報では今夜から冬型が強まって寒波がくるという。最後の小春日和かもしれない。

 柿の木に名残の実が残る。昔から、鳥たちのために梢の上の方の実は残しておく習慣がある。人間が自然と共存して生きる術であろう。自然との共存には、傲慢さより、こうした優しさが求められる。

_239  よく熟れた柿の実が青空に映える。甘くておいしそうだ。

 穏やかな日和に誘われて、今日は落柿窯の作品を野に放って見た。無釉の焼締め陶である備前は、野にあっても存在感がなければならないと思っている。水瓶などその典型である。

  果たして落柿窯の作品はどうか。いくつか草の上に転がしてみた。

_237  胡麻垂れ壺。大きな壺ではないが豪快な胡麻のおかげで救われた。

周りの緑との調和が良い。

_238 この広口花器も同じだ。

 できればもっと豪快な造りであればより存在感を増すのだが、残念ながら主の技量がついていかない。

 いつかは水甕にも挑戦してみたいが、まだまだ精進が足りないようである。

_235  広口花器。上のものより少し背が高い。この作品も胡麻垂れ。

 こうして見ると改めて胡麻の力の凄さを感じることができる。

 備前焼の神髄は、やはり、その豪快さにある。

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2006年12月16日 (土)

初冬の景色

 昨日に続いて今日も暖かい日和。早朝の青空に気球が飛ぶ。落柿窯のある瀬戸内市では、毎年11月にバルンフェスティバルが開催されるが、今年は、あいにくの天候で中途半端に終わった。

 _229 青空の中の気球。落柿窯の煙突の上空を飛ぶ。熱を吹くボーボーをいう音が賑やかだ。

この良い天気も今日まで。明日から冬らしい気圧配置に変わるらしいが、それにしても、冬にしては天候不純だ。

_230 気持ち良さそうだが寒いだろう。

_231 落柿窯の庭の景色。木の葉を落とした木々の根元にピンクのサザンカが花びらを散らしている景色は、なかなか風情がある。これも恒例の初冬の景色である。

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2006年12月15日 (金)

太陽の恵

 やっと晴れた。4日ぶりの晴天に気持ちも和らぐ。このところ白地の乾きが悪く、削りができず弱っていたところだっただけに、今日の晴天はうれしい。

 この冬2度目の「小春日和」である。こんな日は、日だまりで日向ぼっこを決め込みたいところだが、なかなか現実はそれを許してはくれない。仕方なしに今日も働いた。

 夜、炉で楽しむ茶碗を探していたら、黒楽茶碗が出てきた。

_225 それがこの茶碗。釉薬は高台までかかり、胴の下部に富士を思わせる山が描かれている。ゆったりとした茶碗である。

 お茶屋さんで見つけて、何となく気に入ったので普段使いに買ってきた。

 この茶碗には、生意気にも銘がついている。

_227 この箱書きを見て頂きたい。

銘は「無心」となっている。衒いのない作行きからこの銘がついたと思われるが、この銘は落柿窯の主が常とするところである。

暖かいこの黒楽茶碗で寒い冬を大いに楽しみたいと思っている。

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2006年12月14日 (木)

赤絵の皿

 今夜は2006年の年忘れの会に参加した。何年ぶりかのフグのコースに舌鼓を打ちながらの楽しいひとときであった。

 フグはやはり薄造りと雑炊にとどめをさす。今日の薄造りは赤絵の皿に乗ってきた。

_224 いつも備前ばかり眺めている主にとっては久しぶりの絵皿だ。フグの薄造りは下の絵が透けて見えるのもご馳走の一つであるため、必ずと言って良いほど赤絵の皿が使われる。

今日の絵皿は6寸の伊万里であった。備前以外の焼き物が今日はやけに新鮮に映る。

_222 塗りの善で出てきた前菜。

この前菜もなかなかの味わい。

このお店は落柿窯の主が親しくしていただいている中の一つで、ほとんどはずれたことがない。名前は「ふじひろ」と言う。

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2006年12月13日 (水)

備前擂り鉢

 落柿窯の主のテーマは、室町の擂り鉢であることは今まで何度も言ってきたが、今日、落柿窯の展示室に備前擂り鉢が転がっているのに気がついた。はっきりした記憶はないが、どうも今年2月の窯で出てきたような気がする。結構良いできだ。

_220 見込みが白く抜け、赤い緋襷がよくでて、いわゆる窖窯特有の焼成に上がっている。

この擂り鉢が今まで隠れていたとは全く主の不覚であった。

室町の擂り鉢に恋して久しいが、なかなか想いは通じない。

_221 口の部分を接写するとこうなる。

大きくすると主の技術の拙さがよくわかるが、それはさておき、備前擂り鉢の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと願っている。

備前擂り鉢は備前焼の原点である。

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2006年12月12日 (火)

儚い命と永遠の命

 今年を代表する漢字一字は「命」に決まったようである。今年もまた尊い多数の命が消えた。一番の原因」は戦争だが、それ以外に今年は特に小中高生の自殺、子殺し、親殺しが目立つ。

 落柿窯の主のように一度生まれると永遠に生き続けることのできる焼き物を作っている者にとっては、儚い命の尊さをより強く感じてしまう。

 新しい命の誕生を祝い。理不尽にも殺されゆく命を悲しむ。むろん自ら命を絶つことは許されることではない。もっと命の尊さを考えよう。

_219 落柿窯の作品。花器である。

主亡き後もきっと生き続けてくれることを願って作品作りを続けている。

人間の命は短いが作品の命は長い。

人間の命は儚い故に尊い。

 

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2006年12月11日 (月)

落柿窯の概要

 今まで「落柿窯」について、その成り立ちや作品、周辺の状況等について書いてきたが、一度も落柿窯の概要については紹介していなかった。

 そこで今日は落柿窯の概要を簡単に紹介することにした。

_217_1(築窯) 昭和61年春。

(施工) 渡辺築炉

(サイズ) 長さ 約5メートル。棚は5列。幅 約110センチ。棚板2枚。これが大きさである。

(形式)半地下式窖窯。

(初窯) 昭和61年12月。

_216 この写真は窖窯の内部である。右からライトを入れているため白く光っているが焼けた煉瓦が美しい模様を見せる。

長年にわたる使用のため 床の煉瓦には胡麻溜まりが見られる。

正面は煙道から煙突につながる。

両横上部の穴は横焚きの口。

 この窯で落柿窯の主は写真集の作品を生み出してきた。良い窯である。こらからもこの窯の特徴を最大限生かしていきたいと思う。ただただ精進あるのみ。

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2006年12月10日 (日)

作陶が進まない

 今日は、午前中暖かい日差しが降っていたが、午後から冬型の気圧配置に変わった。北西の風が吹いている。気温はさほど低くはないが、太陽が雲に隠れるとさすがに冬の様相に変わる。

 落柿窯の庭はすっかり冬の景色になった。その中でサザンカだけが賑やかである。

_214 落柿窯の庭。赤い紅葉は散ってしまい、枯れかけの黄葉だけが北風に散っていく。寒々とした庭の景色。

雪でも降れば風情があるのだが、瀬戸内のこのあたりでは春先の雪があるくらいで、冬の間はほとんど降らない。

_215 落柿窯の庭には、赤、ピンク、白のサザンカが今を盛りに咲いている。散った花びらは、まるで色模様の絨毯のようだ。 

庭の掃除が大変だが、主は全く手をつけない。このまま土に帰って行くのを待っている。

 昨日は友人との焼き物談義に花が咲いたが、今日は一転引きこもり状態。午前中ほとんど日向ぼっこ。それでも午後から元気を出して、やっと湯飲みを差し板一枚分ひいた。なかなか作品が増えてゆかない。来年春の窯焚きを目指して精進あるのみ。しかし、冬はこの仕事はなかなかきつい。

_218 400グラムの少し大きめの湯飲み。

明日、高台を削る。冬は削りのタイミングが難しい。凍結、暖房、乾燥など危険要因が多い。荒水が飛んだところで覆いをかけて乾き具合を調節する。

こうして、少しずつ作品をためていく。

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2006年12月 9日 (土)

水仙を生ける

 一日中鬱陶しい天気が続いている。雨のやみ間に外に出ると、落柿窯の周辺の田圃は冬の田起こしか始まっていた。あちこちの田圃が土を起こされて黒々としている。田圃はこの状態で冬を越す。

_211 いつも見る景色も季節とともに少しずつ変化している。

起こされた田圃とまだのところのコントラストが自然の妙を見せている。

 先日、蕾が膨らんでいた水仙が良い花を咲かせていたので、早速備前の鶴首に生けた。

_212

 初咲きの水仙はとても香りが強い。たった二輪の水仙で茶室全体が香りに包まれた。芳香剤と違い何とも馨しい。自然の香りに勝る物はない。

 今日は、友人の備前焼女流作家が遊びに来てくれた。夕方までストーブの前で焼き物談義に花が咲く。志を同じくする人との話は尽きない。久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた一日であった。

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2006年12月 8日 (金)

登り窯の壺ー1984

 ここに一つの壺がある。裏には1984の西暦と陶印が見える。

_210 この陶印は、かつて落柿窯の主が使っていたものだ。

この当時、主は友人の窯で勉強の最中であった。どうにか轆轤も形になりだした頃である。

 友人が自分の作品に混ぜて登り窯で焼成してくれた。

_209 形は小さいが見事な胡麻垂れの壺。きっと、窯の正面に入れてくれたのだろう。

この壺を見ていると当時を思い出して懐かしい。社会はバブル景気で沸いており、備前にとってもっとも良い時代であったように思う。

 落柿窯の主は、この友人のおかげで今日がある。

 友人は、備前焼作家太田富夫氏。氏の窯は「若宮窯」と言う。

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2006年12月 7日 (木)

サザンカ梅雨

 この時期の長雨をサザンカ梅雨という。今朝から降り出した雨は2,3日続くらしい。今日は「大雪」だというのに冬型の気圧配置ではなく低気圧がやってきた。先日の冬型も長くは続かなかった。やはり暖冬傾向のためだろう。その上、エルニーニョ現象まで現れた。この冬はますます暖冬傾向が強まる予報だ。

 今日のような鬱陶しい日には気分が滅入る。一時的な鬱状態。迷いも多く、不安も大きくなる。しかし裏を返せばこれは生きている証でもあると合点する。尊敬する谷川徹三さんが「90にして惑う」という本を出していたが、落柿窯の主も還暦を目前にして惑いはつきない。

 道元はその著書「正法眼蔵」の中で仏法の真随について書いているが主には難解すぎて手に負えない。しかし修行は日常の生活の中にあり、悟りもまたその中から得られるものであることは理解できる。人間の何気ない営みが大宇宙とつながっているのであろう。

 落柿窯の主は、日々の暮らしを通してその答えを見つけるために精神を研ぎ澄ますことが求められる。そのために自然と同化したいと思う。これが生涯のテーマである。

_202_1 今年はことのほか見事な南天の実がついた。落柿窯の庭のあちこちに植えられて、いづれも良い実をつけている。

毎年備前の花器に生ける正月の花には欠かせない存在だ。

 

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2006年12月 6日 (水)

落柿窯の初窯

 今日は月に一度の診察の日。通院のため車に乗り込むと温室のようであった。小春日和と呼ぶに相応しい穏やかな日和。風もなく暖かい日差しが降り注いでいる。 

 昼前診察を終え病院の駐車場から見る青空は正にインディアンサマー。

 この時期になると決まって落柿窯の初窯を思い出す。主が陶芸を本格的には初めた頃は何もわからず、仲間の助けを借りて窯を焚いていた。

 昭和61年12月、クリスマスイブに火を入れ、30日まで焚いたのを思い出す。

 今日、物入れをごそごそしていたら初窯の菓子鉢が出てきた。こんなものを作っていたのかと懐かしい。

_208 約6寸の菓子鉢。作りは拙いが、焼成は窖窯特有の良い焼けに上がっている。何もわからず素人ばかりの集団が窯を焚いたとも思えない焼成だ。

初窯の作品はほとんど残っていないのでこれは大切にしたいと思う。

これからも良い作品を生み出せるよう精進、精進。

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2006年12月 5日 (火)

寒い朝

 今朝はこのシーズンで初めて霜が降りた。初霜を観測したことになる。落柿窯のあるこのあたりは海も近く温暖な土地柄であるが、冬はやはり寒い。今朝は外にある温度計がマイナス1度を指していた。

 主が子供の頃、この時期から朝の登校時には霜柱を踏んで歩くのが楽しみだった。しかし、最近霜柱を見ることがない。地球温暖化の影響なのか。このままだと地球が壊れていく。いやもう壊れ初めているという。今、何とか歯止めをかける手だてが急がれる。

 季節は本格的な冬に向かって寒さが増す中、日だまりでは早くも「日本水仙」が花を開き始めた。

_195 落柿窯の周辺に日本水仙があちらこちらに植えられ、毎年、正月を迎える頃から花を開き始めるが、今年はやはり早いようだ。

水仙は備前の一輪差しに生ける素材として最適である。

 今夜もまた冬の月が冴え渡っている。眺めていると狼男に変身するかもしれないほどのエネルギーを感じる。

 そんな夜に、昨夜の擂り鉢型小鉢を仕上げた。

_207 寒くなると、手があかぎれだらけになり、作陶が辛い。

まあ、のんびりとやろう。

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2006年12月 4日 (月)

凛とした冬の満月

 今夜の月はほぼ満月に近い。澄んだ寒空に凛として輝いている。あまりにピュアなので寒さも忘れてしばらく見ていた。今夜は厳しい冷え込みになりそうだ。

 こんな夜はこたつに丸まっていたいけれど、凛として輝く月に誘われて轆轤座に座った。

_206 今夜はすり鉢型小鉢をひく。

すり鉢は落柿窯の主のテーマである。この小鉢は多用途に使える便利さが魅力。鍋の取り鉢として使えばとても具合が良い。

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土練機から出てきたばかりの備前の粘土。これで約20キロある。

何種類かの備前の粘土をブレンドしていい加減な状態の土を作る。

本来、土作りはすべて手作業だが、落柿窯の主は体力不足のため機械に頼っている。 

 今夜の月は怪しいまでに輝いている。ここ2,3日はこの月を楽しめそうだ。

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2006年12月 3日 (日)

冬晴れの日に

 今日は一日中気温が低かったが冬晴れの青空が広がった。寒くなると水を使う陶芸にはちょっとつらい季節になる。轆轤びきした白地が凍ると割れる。冬の間は気をつけることが多くなるが、自然を相手の仕事では致し方なかろう。

 今日、東京の知人から見事なリンゴが届いた。いつも気にかけてくれる心優しい人だ。感謝、感謝。

_200 早速、備前の大皿に盛って仏様にお供えし、お下がりをいただいた。さくっとした食感が良い。甘い蜜が入っている。当分リンゴを楽しもう。

_199 冬晴れの青空に落柿窯の煙突。この煙突から煙りが見えるのはもうしばらく先になりそうだ。

_196 柿の木の下の日だまりにツワブキが花を開いている。この時期花が少なくなるだけに貴重だ。葉は食用になり、薬用としても使われる。

備前の花生けに入れてもよく似合う花である。

_203 落柿窯の側を流れる川の鴨たちは寒さに負けず元気だ。ずっと声は聞いていたが、久しぶりに見るとずいぶん大きくなっている。この川に鴨が住みだして数年になる。住み心地が良いのか、天敵がいないのかわからないが、村人が見守っているのも要因であろう。

  この時間、東の空に冬の月がこうこうと輝いている。名月に比べ寒々しく感じられるのはなぜだろう。。満月まで後2日ほどか。

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2006年12月 2日 (土)

初冬の風景

 天気予報の通り、師走寒波がやってきた。昼前の時雨の後、北西の風が強い。気温も低い。でも、これでやっと平年並み。今年、いかに暖かかったかがわかる。日本の四季が壊れないことを願うばかりだ

 今日は朝から落柿窯の周辺で初冬の風景を集めてみた。

_187_1 この紅葉は落柿窯の庭にある小さなもみじだが、今年は鮮やかに色づいてくれた。

この北風で見納めになるだろう。

_189 落柿窯名物の柿の大木。今年はたくさんの実をつけた。まだ上の枝にはいくつも実が残っているが、このまま鳥たちの餌になる。木で熟した柿の実はゼリーのように美味い。鳥に食べられるのは誠に残念だ。

_194 柚が今年も大きな実をつけている。去年は数が多くて実が小振りだったが、今年は数は少ないが実は大きい。柚は食してもよく、「ゆず湯」も最高である。冬至には楽しめそうだ。

_192 畑の野菜が草の中で驚くほど大きくなった。このところ毎日野菜づくしだ。今夜も野菜鍋になる。ほとんど手を加えないのに土の力の恵みであろう。畑の土にも、焼物の土にも感謝である。

それにしても自然の力には驚くほかない。

_191 落柿窯の茶室の周りもすっかり初冬の装いになった。木の葉が散ってしまうと本格的な冬になる。

炉の設えが急がれる。

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2006年12月 1日 (金)

お気に入りの大皿

 落柿窯の作陶暦は20年を超えたが、この間の作品の中でお気に入りのものは以外に少ない。これは、主の技術不足もあるが、やはり備前の魅力である炎の成せる業の所為であろう。

_182 この皿は、主がお気に入りの一つである。 

この皿を見る度に心が和む。縁の部分と中央のほんのりと赤い部分のコントラストが絶妙で、赤い緋襷もよく出ている。

落柿窯では、毎年、正月料理をこの皿に盛るのが恒例になっている。

 もう一つ落柿窯の主がお気に入りの皿がある。

_180 それがこのパスタ皿だ。

この皿も周縁部のゴマの美しさと中央部のクロスした緋襷が面白い景色になっている。

この皿は未使用だ。

 この2枚の皿は、今まで多くの皿を焼いてきた落柿窯の主にとって、最もお気に入りの皿といえる。

 今日から師走、暦に合わせたかのように寒波がやってきた。明日からこの冬一番の寒さになるという。やっと冬らしくなった。それでも例年に比べてまだまだ暖かい。

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