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2006年10月31日 (火)

淡雪のよう

 白い八重の山茶花が咲いては散り、散ってはまた咲いている。朝の光の中で見るとまるで淡雪のようだ。

_475w640 小さな2本の山茶花が淡雪のように花びらを散らす。花を開いてからほんの1日か2日の命だが、咲いてもよし、散ってもまたよし。ものの哀れを誘う風情である。

 さてさて今夜の仕事だが、昨夜引いた40センチの大皿が今朝見るとまたしても自爆していた。残念無念。やはり土に力がない。

 今夜は昨夜のもう一つの花器を仕上げた。

_476w640 ドングリの花器。少し寝かせてみた。子供の頃、ドングリを拾うのがこの時期の一番の楽しみだったような気がする。ドングリの中心に竹串を刺し、駒にして遊んだ日々を思いだす。

今夜は新たに32センチの鉢を引いた。これなら自爆しないはずだ。

_478w640 この鉢は縁を十分立ち上げたので自爆の心配はないだろう。明日の夜仕上げることになる。

 落柿窯の柿が甘みを増してきた。

_477w640 この柿は「御所柿」。中心部分から腐れが入るので商品価値は低いがとても美味い柿だ。他の柿に比べて甘さのレベルが数段上である。このあたりではあまり見ることがない種類。鳥取県では栽培されているらしいが定かではない。。

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2006年10月30日 (月)

山茶花

 この間から咲き始めた山茶花が開いては散っていく。白い八重の山茶花。小さな木だが花は多い。

_462w640 人の肩ほどの山茶花だが良く咲いてくれる。この山茶花のほかにも白や赤の大きな木もあり、今いっぱいのつぼみを付けている。これから冬にかけて落柿窯の庭はにぎやかになる。その後は、春にかけて椿の出番。主にとってはうれしい季節だ。

 今夜は40センチの大皿とドングリの花器の原型をロクロ引きした。

_473w640 久しぶりに大皿を引いた。もう少し大きな皿にしたいが、棚板のサイズを考えると50センチが限界。それ以上だと窯焚きに支障が出る。小さな窯の宿命だ。これの仕上げは明日か明後日になる。

_474w640 秋のドングリをモチーフに、花器の原型を引いた。頭まで塞いでいるので、一部を明けておかないと中の空気が膨張して破裂する。そのため花を挿す場所に穴を開けた。。この仕上げもたぶん明日夜になるだろう。

夜なべ仕事が続くと疲れがとれない年齢になってきた。気持ちは若いが身体がついてゆかぬ。マイペースでやるしか方法がない。最近、富みに歳を感じるようになった。

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2006年10月29日 (日)

創造すること

 今日も暖かい日が続いている。季節はずれのモンシロチョウが元気に飛び回っている。おかげでキャベツは虫食いだらけだ。しかし他の野菜はすこぶる元気。毎日 新鮮な野菜に事欠か_471w640 ない。

元気な野菜たち。遅れていたほうれん草も食べ頃になった。金時人参も草の中から葉が見えるようになっている。。これからますます野菜が美味くなる。

_472w640 畦道の草の中で咲いていた花。名前は知らないが、秋らしい可憐な花だ。

今日は昨日引いた花器の仕上げをした。備前焼の形は1000年の歴史の中で定着しているものが多い。しかし、近年新しい意匠を求めて若い作家達が挑戦している。その旗頭が隠崎隆一氏だ。氏の作品は創造性に富んでおり、他の追随を許さない出来映えである。今後、新しい備前の形になるだろう。

 それにしても、新しいものを創造することは並の仕事ではない。想像を絶する産みの苦しみがあるだろう。落柿窯の主にはとうてい及ばぬ世界である。ただ新しい物が生まれるのはおおいに歓迎する。期待して見ていきたいと思う。

_470w640 今日仕上げた花器。茶室の床における大きさである。ただこれだけのものでも時間がかかる。隠崎氏の仕事にはただただ敬服するしかない。

_469w640 14センチほどの小皿。落柿窯ではこんな皿も作っている。

創造性豊かなものを作ることは難しい。落柿窯の主は背伸びせず、出来るものをのんびり作って行くしかあるまい。

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2006年10月28日 (土)

落柿窯の焼成見本

 今日は落柿窯の焼成の色々を紹介したい。落柿窯は窖窯なので基本的に酸化焼成である。

_465w640 まず、なんと言っても酸化焼成の醍醐味は緋襷であろう。鮮やかな赤い緋襷は実に美しい。

_466w640

胡麻垂れ壺。高温のため器肌についた松割り木の灰(胡麻という)が融けて流れたもの。豪快である。

_468w640 ボタ餅と呼ばれる焼成。耐火度の異なる土を置くか、作品を重ね置きしたところに現れる。

W640_1 これもボタ抜き。こちらは肌が白く出て、赤い緋襷になっている。

_464w640

酸化焼成の窯でも場所によっては強還元状態になる場所があり、このような青備前が出ることもある。全体をサヤで覆えば全体が青くなる。

_204w640_1 時として偶然が重なり、こんな窯変が現れる。予測出来ないだけに主にとってはうれしい瞬間となる。

落柿窯の周りの田圃は、この一週間ほどでほとんど稲刈りが終わった。遠くで名残のコンバインが動いている。

_463_2 刈り入れが終わり寒々しくなった田圃。晩秋の佇まいになった。それにしては暖かい日々が続いている。

_461 落柿窯名物の柿。今、丁度食べ頃。今年は大豊作だ。

後三日で10月も終わる。平年ならそろそろこたつか恋しくなる時期だが、今年はずっと暖かい日が続いている。ニュースでも今年の紅葉の見頃は12月に入りそうだという。地球温暖化がますます進んでいるのだろうか。ちょっと心配になる。

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2006年10月27日 (金)

青い備前焼

 備前焼には色々な焼成があるが、中でも青く発色する備前焼は「青焼き」または「青備前」と呼ばれ、昔から珍重されてきた。

 青備前の出来るメカニズムについては、落柿窯の主の知人である備前焼作家山内厚可氏が自身のホームページ上で詳しく解説しておられるのでそちらを見て頂きたいが、それにしても不思議な色の備前である。

_460w640_2 これが「青備前」だ。 

青備前は基本的に還元焼成の窯でないと生まれないため、酸化焼成する落柿窯では残念ながら生まれない。

 この湯呑みは初代藤田龍峰の作である。

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2006年10月26日 (木)

笑う魚

 魚が笑う。こんな絵付けをしている作家がいる。沖縄読谷村で作陶している「人間国宝」金城次郎さんだ。金城さんの名は、魚が笑っていることでよく知られるようになった。人間国宝に認定されても全く奢ることなく、黙々と作陶しておられる姿は敬服に値する。

 金城さんの魚がなぜ笑っているのか定かなことはわからない。ただ推測するしかないが、思うに、沖縄戦の悲惨さ、悲しさを経験した中、その苦しみを越えて生まれたのが「笑う魚」ではないかと思われてならい。

 今、落柿窯の主の手元には金城さんの水滴があるので紹介しよう。

_457w640 素朴で豪快な水滴。表面に魚が二匹向かい合って微笑んでいる。他に目を細め、口を大きく開けて笑っている作品を見たこともある。

 この水滴は、主のために友人が沖縄を旅行した時、買い求めてくれたものだ。

_455w640  金城さんの箱書き。人柄を感じさせる素朴な字である。

落柿窯の主は、金城さんの笑っている魚を見るたびに、その裏に隠された沖縄の歴史の悲しさを思う。

 もう二度と同じ悲しみを味わうことのないよう願わずにはいられない。

 そのためにも人類の宝である日本国憲法の精神を世界に広げよう。 平和を祈ろう。          

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2006年10月25日 (水)

秋は夕暮れ

 「枕草子」のあまりにも有名な第一段には、秋は夕暮れが趣深いとあるが、このところ、毎日晴天の日の出を見ていると、秋の曙もなかなか捨てがたい。

_452w640 東の山の端が金色に輝き次第に白くなってゆく。そして日の出。秋なのにまるで「枕草子」春の項そのままではないか。それに比べてこの秋は赤い夕日をまだ見ていない。これからの秋の深まりに期待したい。

_448w640 夕方、ビルの上空にぽっかり浮かんだ雲の裏が赤く染まっているようだ。都会では、時々おもしろい風景が見られることがある。この雲もそんな一場面。

やはり秋の夕暮れは格別。「枕草子」の鋭い観察力と軽妙な文章のリズムに感服する。

 落柿窯の今夜の夜なべ仕事は、昨夜ロクロ引きした花器の仕上げ。思い通りにいかなかったが、まあこんなものか。

_453w640 このところの夜なべ仕事続きで疲れがたまっているようだ。今夜は新しいロクロは止めにして早く休もうと思う。

今秋は暖かい日が続いたが、ここに来てやっと平年並みの気温になってきた。今年の紅葉はどうだろう。このまま気温が下がれば大いに期待出来る。

期待して待とう。

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2006年10月24日 (火)

山と風の香炉

 今、落柿窯の主の手元に「山と風」をモチーフにした備前焼の香炉がある。この香炉は、主が好きな穂高岳と、その稜線を吹く風を表現している。この香炉の作者は主をよく知る友人である。

_450w640 この香炉を見るたびに穂高を思い、遠い友人を思う。

まさしく「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」である。

_451w640 今、穂高岳はすっかり冬の装いであろうが、秋の穂高は雪を待つ前の華やかな装いで迎えてくれる。

ある年の10月初旬の穂高岳を紹介しよう。

Img_0006 この写真は、涸沢谷の入り口付近から奥穂高岳を望む。ナナカマドの赤、ダケカンバの黄色に彩られた谷は華やかな装いである。

Img_0005_1 青い空と黒い岩、赤いナナカマドの紅葉。秋の穂高は別世界である。これで稜線に雪があれば最高である。この時の穂高はまさに快晴であったが、頂上付近は防寒具がないと行動出来ないほど寒く、冬が真近いことを実感した。

 今夜の落柿窯の夜なべ仕事は、手桶花入れの原型を引いた。

_449w640 これは原型。明日の夜仕上げをする。

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2006年10月23日 (月)

霜降

 今日は霜降。二十四節気の一つ。霜が降りはじめるころとされる。太陽の黄経が210度の時。太陽暦では10月23~24日頃である。

 今朝は暖かい朝。雨の夜明けであった。明日から平年並みの気温になるという。

 今まで暖かすぎたので畑の野菜が虫の被害に遭っている。

 近年、温暖化のせいか、紅葉の見頃が十二月にずれ込むこともたびたびである。足繁く通った京都の紅葉も、最近では11月末から12月初めにかけてが見頃という。このまま温暖化が止まらなければ日本の四季が崩れてしまう。今みんなの知恵と金と力が求められている。金のない者は知恵を出そう。知恵のない者は金を出そう。どちらもない者は力を出そう。知恵も金もある人は両方出そう。みんなで地球を守ろう。

 今日、落柿窯の主は昨日引いたサラダボールの仕上げをした。高台を一つは普通に、二つを碁笥(ごけ)高台に削った。碁笥とは碁石を入れる器である。この高台を真似たものを碁笥高台という。

_448_1 この丸い高台が碁笥高台。中央部分を削ってあること及び高台の角が丸いのが特徴である。

高台はそれぞれ約束が多くて難しい。

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2006年10月22日 (日)

晴れ後曇りーコンバインの音

 朝露が消えた時間からコンバインの音が響く。明日から天気のくずれが予報されているためか、あちらこちらの田圃で稲刈りが急ピッチで進んでいる。

_447w640 落柿窯のすぐ横の田圃でも家族総出で稲刈りが進む。いくら機械化されたとはいえ縁刈りは手仕事。やはり大変そうだ。

 落柿窯の主は、このところ壺ばかり作っていたので、今日はサラダボールを引いた。

_446w640 少しづつ大きさを変えて見たが、どの大きさが使いやすいか主にはわからない。

_443w640 昨日漬けた二十日大根の甘酢漬けが食べ頃になった。市販の甘酢では少し酢の味がかっているようなので蜂蜜を入れてみたらちょうど良い甘みがついている。酢に溶け出した赤い色が綺麗だ。

稲刈り」が終わると、このあたりでもそろそろ紅葉の季節に入る。こもあたりの紅葉はドングリの木ばかりなので美しい紅葉にはならない。今日は、ある年の10月20日頃の上高地の紅葉を見て頂きたい。この年はまだ山に雪が来ていなかった。

Img_0005 今年はすでに山は雪化粧しているはず。見に行きたいが、健康状態がそれを許さない。

「山を想うと人恋し。人を想うとやま恋し」の心境である。

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2006年10月21日 (土)

天高く馬も人も肥ゆる秋

 久しぶりの畑。いつもは暗い中での収穫なので野菜の状態がわからない。今日は午前中に収穫した。この一週間で大根も白菜も水菜も菊菜も全てが大きくなっている。その中で二十日大根が食べ頃になっていた。早速収穫して甘酢につけた。昨年も堪能したが、今年はもっと出来が良い。これからしばらくは楽しめそうだ。_439w640

勢いよく育った野菜たち。今、菊菜、水菜、二十日大根が旬。ネギはまだ細い。ほうれん草とにんじんの育ちが悪い。この二つはいつも失敗する。難しい。

_441w640 赤い色が鮮やかな二十日大根。少し塩をして水出しし、その後、市販の甘酢に漬けた。明日の朝には賞味出来る。今年初めての味。ちょっとうれしい。

備前の大皿に盛ると赤い色が一段と引き立つ。やはり備前の器は万能である。

_442w640 リンゴ、柿、西条柿の熟柿、ミカン、イチジク。どれも今が旬。甘くて美味しい。西条柿の熟柿も今年初物。こんな時、田舎暮らしのありがたさを感じる

今日は夜なべ仕事でなく、昼仕事で壺の仕上げをした。

今夜は早寝出来そうだ。

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2006年10月20日 (金)

秋の風物詩

 夕方帰宅すると、落柿窯のあたりがかすかに煙っている。いよいよ「すくも」を焼く季節になった。「すくも」とは籾殻のこと。このあたりでは一般に「すくも」と呼ぶ。このところの晴天で稲の刈り入れが遅いこのあたりでも、ようやく稲刈りが始まった。コンバインで刈り取った「もみ」は乾燥機で乾燥させ、もみすり機にかけて玄米にする。このとき出るのが「すくも」だ。これを田圃に山積みにして、中央部に小さな煙突を立てて焼く。焼けてしまうまで数日を要するため、その間、煙とに臭いが漂うことになる。毎年この季節に繰り返される秋の風物詩だ。焼けた「すくも」は田圃や畑にまかれ肥料になる。完全なリサイクルである。この週末には、ほとんどの田圃で稲刈りが終わるだろう。取り入れが終わるといよいよ晩秋。一段と秋が深まる。

 紅葉の名所ではこれから本番を迎えるが、今日は一足早く美しい紅葉を紹介したい。

Img_1 この紅葉は、京都洛北「鷹ヶ峯」にある「光悦寺」の紅葉。

有名な「光悦寺垣」と真っ赤なもみじの紅葉が美しい。後ろの借景は「鷹ヶ峯」。

是非一度訪れることをお薦めする。

_436w640 今日は落柿窯の「海老の大皿」を紹介しよう。

 中央の置いた藁が偶然にも「伊勢海老」を思わせる緋襷になっている。

 これに季節の野菜を大盛りにして鍋を囲むのが良い季節になった。

 秋は楽しみが多い。

 今夜の夜なべ仕事は、昨日の四角花入れを最終的に仕上げた。

   

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2006年10月19日 (木)

巨匠の言葉

 このところずっと気持ちの良い夜長が続いている。おかげで落柿窯の主の土遊びも結構進んだ。ほんの2時間足らずの間だが集中していると気持ちが和む。

_433w640 今夜は2日前に引いた四方花器の仕上げをし、新たに壺を引いた。

_434w640 この壺はあまり胴を張らしていない。口を絞って花を入れやすいようにしている。

ロクロを引くのは楽しいが、なかなか思うロクロに上がらない。

かつてロクロの名手と謳われた河井寛次郎は「土に手を添え、開けば皿になり、すぼめれば茶碗になる」といっているが、落柿窯の主はとうていその域には足することはできないだろう。

 これからも夜なべ仕事はずっと続くことになりそうだ。

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2006年10月18日 (水)

生きるということ

 最近 落柿窯の主は年齢の所為か、健康状態の所為か、はたまた最近の歪んだ社会の所為かわからないが、「生きる」ことについて考えている。生きることは簡単なようで結構難しい。

 いつか読んだ吉本隆明さんの著書「最後の親鸞」の中にこんな一節があった。

 「人間の最も価値のある生き方は、怠惰に、安逸に、今日を無事に、明日を無事に生き、そして死ぬことにあると思える。」

 主はこの一節がなぜか心に残って離れない。人にはいろいろな生き方があり、価値観もそれぞれ異なる。吉本の言葉に当然異論はあるだろう。こんな生き方のできる人はいないに等しいかも知れない。ほとんどの人は自分を殺してストレスの中で生きている。しかし、こんな時だからこそ、今一度生きる意味について考えてみるのもあながち無駄にはなるまい。時には李白になって酒を飲み、「生きること」について考えてみるのも良かろう

_432w640 落柿窯の主のように李白になれない者にとっては、好きな焼き物でも愛でながら、自分らしく生きる術を考えたいと思う。

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2006年10月17日 (火)

朝はいつも新しい

 秋の朝、凛とした空気の中で陽が昇る。

 落柿窯の主は、いつも日の出の頃家を出て,、日の入りの頃帰る生活がもう30年も続いている。自然に身を任せて生きる暮らし。端から見れば一見優雅に見えるだろうがそうではない。この暮らし以外に主が健康を保てる術がないのだ。

 それはさておき、今朝も家を出る時、すばらしい日の出に出会った。朝の太陽は、まるでエネルギーの固まりのようである。凛とした清浄の空気に放たれた光の矢は、さながら天使の矢に似て生き物全てに生命を与えてくれるようだ。思わずシャッターを切った。

_427w640_1 東の山から顔を出した太陽。命の始まり。

今朝気づいたが、あんなに激しく鳴いていた秋の虫たちの声が聞こえない。聞こえても弱々しい声。秋の虫は明け方の気温が15度を下回ると鳴かなくなるという。なるほど、数日前から朝がめっきり涼しくなった。

_428w640_1 次第に陽が昇るに従って空気が輝いてくる。若かった頃、秋の山頂から御来光を仰いだ日々が懐かしい。

_429w640_1 山から離れた太陽は一気に輝きをます。

このところの晴天で朝の太陽からエネルギーをもらえることは、主にとって何よりありがたい。

_430w640_1 昔から「朝はいつも新しい」と言われる。この日の出を見ていたら、今日も一日頑張ろうと思う気持ちが湧いてくる。これこそ自然の恵。感謝。感謝。

_431w640_1 今夜は夜なべ仕事で昨夜の蕪徳利を仕上げた。

もう一つ30センチほどの四角花入れを引いた。

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2006年10月16日 (月)

備前焼祭総括ー景気は回復したか?

 備前最大のイベント「備前焼祭」が終わった。ここで一つ総括をしておきたいと思う。これはあくまでも落柿窯の主の独断と偏見に基づいたものであることをお断りしておく。

 まず最初に人出。二日とも晴天だったにもかかわらず昨年に比べてやや少なかったように思われる。これは秋祭りのシーズン中のため参加できない人も多かったのではないかと思われる。。時期的に再考の余地ありか。

 次に販売している作品は昨年に比べて少しは充実していたようだ。昨年はまるで「がらくた市」のようだとの悪評も聞いたが今年は改善されていたように思う。しかし、もっと良い作品を見たいとの声も多い。良い作品が多くあることを知っている身としても寂しく思う。

 肝心の売り上げは当事者でないのでわからないが、見た実感としては、通りを歩く人の手に、昨年より荷物が多かったように見えた。多少は景気回復の兆しが見られるのかも知れないが、ただ庶民の実感としては収入は減り、負担ばかりが増えるように感じる昨今、とうてい景気が回復しているとは思えない。これでは売り上げはのびない。備前焼などの趣味の品は景気の動向にもっとも影響されるところにある。早く本当の景気回復を望む。

 祭りの行事については、遊びの要素が少ないのではないか。販売ばかりでなく、もっと楽しめる祭りを考える必要が大であると思う。

 参加した人の声はこれから聞こえてくるだろう。それをふまえて来年はもっと楽しい祭りにして頂きたい。

 落柿窯の今日の夜なべ仕事は、昨夜の壺を仕上げ、新たに蕪徳利を引いた。

_424w640 昨夜の立ち壺。胴の張りが少なかったので自爆しなかったようだ。それにしても土かさくい。

やはり胴に亀裂かある。。

_425w640 今夜のロクロ引き蕪徳利。主は蕪徳利の形が好みである。

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2006年10月15日 (日)

秋深きー祭の終わり

 今日で備前焼祭りも地域の秋祭りも終わった。いよいよ秋が深まったのを実感する。

 落柿窯の柿の実も次第に色づいて何とか食べられるようになってきた。畑の野菜たちは、ところ狭しと勢いがよい。水菜、大根の間引き菜、まだちょっと細いがネギはもう食卓に上っている。

 周辺の田圃は黄金の波。今日から刈り入れが始まった。

_419w640 後10日もすれば刈り入れが終わる田圃。今が一番見事な黄金の波。

刈り入れが終わると途端に寒々しくなる。

_421w640_2 今の水菜は柔らかくて美味しい。鍋にもサラダにも最適だ。大根葉は炒めても良く一夜漬けにも。ネギはまだ細いが十分利用できる。

畑は野菜がぎっしり。特に大根、蕪は早く間引かなければと思うができないでいる。

_422w640 落柿窯の柿。まだ甘みは薄いが十分に食べられるようになった。なりすぎのためか実がずいぶん小さい。これからもう少し大きくなるのを期待したい。

_420w640 先日紹介したサザンカがつぎつぎに花を開きだした。八重の白いサザンカ。つぼみはピンクだが咲くと白い。散った後は、一面白い絨毯となる。良いものだ。

実りの秋、紅葉の秋は一見華やかであるが、落柿窯の主にとってはなぜか寂しい季節でもある。

_423w640 今日昼間、丸壺を引いたら再び自爆した。土の配合を変え夜なべ仕事で引いたのがこの立ち壺。胴の部分に亀裂が入りかけている。これ以上張らすとまた自爆しそうだ。土がことのほかさくい。参った。

 備前で一番重要な要素は土であることを改めて重い知らされた。

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2006年10月14日 (土)

備前焼祭

 「備前焼祭」初日。少し風邪気味で身体がだるかったけれど、午後から元気を出して行ってみた。

_413w640 駅前広場の第2特設会場。第1会場は駅のすぐ横。

_414w640 第3会場付近の賑わい。初日から多くの人の波。晴天で良かった。

_417w640 伊部の目抜き通りも人の波で埋まっている。道の両側には備前焼の窯元や作家の家が軒を列ね、どの店でもたくさんの作品を並べている。備前焼ファンにとってはたまらない場所だ。

_415w640 小西陶蔵さんのギャラリー。窖窯の作品が並んでいる。

_416w640 陶蔵さんのギャラリー風景。センスの良さを感じさせる展示である。

_418w640 三代目藤原楽山さんのお家にお邪魔した。美味しいお茶をごちそうになり、しばしの焼き物談義で楽しい時を過ごす。これは三代目の作品。

このほか人間国宝山本陶秀さんのお宅にもお邪魔した。

備前焼祭の期間中は作家さんのお宅にノーテェックでお邪魔できる唯一の時なので有効に使うことをおすすめする。

 明日の日曜日はお天気も期待できる。備前焼ファンは是非祭に行ってほしいものだ。

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2006年10月13日 (金)

自爆

 今日の記事は「自爆」という物騒な題を付けたが、もちろん「テロ」の話題ではない。今日の自爆は,、昨夜ロクロ引きした壺である。

_411w640 この無惨な姿を見てほしい。今朝見たらこうなっていた。昨夜の壺は次の写真の通り丸い結構良い形だったのに。

_412w640 この壺が一夜にして自爆した。原因はいくつか考えられる。

一つにはやはり作者の未熟さだろう。これは精進すれば何とかなる。

次に考えられるのは土である。土の力が足りなかったからか。備前の土は一様ではなく、出土する場所によっていろいろ性格を異にする。この点では人間と変わらない。もしかしたら土に粘りと腰が足りなっかたのかも知れない。粘りのない土は形を作りにくい。

壺は微妙なバランスで形を保っている。そのため力の係り具合が変わると少しの変化でつぶれてしまうことがある。上下左右のバランスが大切だ。

 今までにも壺ばかりでなく大皿も時間とともにつぶれたことが何度もある。そのたびにしばらく作るのがいやになる。今回の自爆で今日は作陶を休むことになりそうだ。

 明日はいよいよ「備前焼祭り」の開幕。ここ数年厳しい祭りになっているが、今年は景気回復の波に乗って良い結果が出るよう祈りたい。

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2006年10月12日 (木)

季節の営み

 今朝は、今秋初めての朝霧で明けた。いよいよ秋が深まったのを感じる。

 今日は朝からシルバーさんが草取りに来てくれた。梅雨明けにお願いしてから2ヶ月で草屋敷となっていたが、おかげで綺麗になった。やはり気持ちがよい。

 シルバーさんのお相手をしながら庭の木々達をよく見ると、もう初咲きのサザンカががあった。つぼみも大きくふくらんでいる。その上、カリンも実を落としている。人間がこんなにも自然を破壊し、環境を悪化させているにもかかわらず自然の営みはなんと正確なことかと改めて思う。

_402w640 ピンクの八重のサザンカ。今秋初咲きである。落柿窯の主は椿やサザンカの類が大好きなので、庭にはたくさん植わっている。この木は小さいが、毎年多くの花をつけてくれる。

_403w640 つぼみも大きくふくらんで次々に咲き出すのが楽しみだ。サザンカは花が散った後の風情も絨毯のようで好ましい。

_405w640 早速、貴重な一輪を手折って備前の鶴首に入れた。

初咲きのサザンカと南天の秋葉。結構気に入った。

_404w640 落ちていたカリンの実。人の拳ほどある大きな実である。木には、まだ、たくさん見えているので、これから順次落ちてくる。カリン酒にすれば咳の特効薬だが、このまま香りを楽しむだけになりそうだ。

 「秋深き、隣は何をする人ぞ」という句があったが、今、お隣は離れのりホームの真っ最中で、大工仕事の音が秋空に響いている。

 

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2006年10月11日 (水)

ロクロを回す

 制作を始めると次第にブリがつく。今夜は、昨日制作した立ち壺を仕上げる予定であったが天候のせいで乾きが悪く、仕上げができない。再びナイロンを掛けて明日に持ち越しになった。代わりに今日は丸壺を引いた。少し大きめだが焼成後は棚に置くのにちょうど良い按配になるはずだ。

_401w640 ロクロ引き直後の丸壺。この瞬間が一番美しく見える。

乾いてくると粗が目立つようになる。焼くともっとよくわかる。

_400w640 棚に置いてある白地。黒い土が乾くとこんなに白くなる。この状態になると窯に入れても大丈夫だ。

この秋は、主が横着を決め込んでいたため白地ができていない。

こらからの秋の夜長にお仕事、お仕事。

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2006年10月10日 (火)

秋の夜長にひと仕事

 「秋の夜長にひと仕事」と言っても、もちろん泥棒ではない。遅れている焼き物の制作を始めた。ずいぶん長く中断していたのでロクロの横に置いてある手桶がからからになっている。先日、頼まれた擂り鉢の試作を手始めに少しづつ動き出した。歳のせいか長時間ロクロの前に座れなくなってしまったが、まあのんびりやろう。

_394w640 昨夜ロクロ引きした小さな立ち壺。

どうしても花を入れることを念頭に作ってしまうので、口を縛り加減にした立ち壺になりやすい。

今夜はこの壺の仕上げをし、もう少し大きめの立ち壺を引いた。

_395w640 こちらが今日の制作。昨夜のものより少し大きめである。

_397w640 右の壺が仕上げを終えたもの。今日引いた壺は、明日夜の仕上げとなる。このところ大気が乾燥しているので、明朝ナイロンを掛けて乾きを調節する。

_398w640 今夜も寝待の月が輝く。今年の名月は十分に楽しんだ。もうここらで名月の話題は終了する。

明るい月夜にキンモクセイの香りが漂っている。気持ちの良い夜だ、

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2006年10月 9日 (月)

キンモクセイの香り

 体育の日。この日の前後は毎年天気が安定する。しかし2日ほど前の荒天で海、山で遭難が相次いで起こたのは残念だ。海、山に出かける人はもっと気象学を勉強してほしいと思う。それに昔からいわれているように、引き返す勇気を持ってもらいたい。忙しい社会の中では日程に余裕がないのはわかるが、遭難しては何にもならない。

 今日はまたまた快晴である。キンモクセイの香りが漂う。かすかに香るキンモクセイの香りは好ましいが、以前キンモクセイのお茶をいただいた時は、お茶好きの落柿窯の主も少々手こずった。この味を好む人もいるらしいが、香りが強すぎて主の好みではなかった。キンモクセイの香りがするたびになぜかあのお茶を思いだす。

_388w640 キンモクセイの香りが快晴の空気に融ける。結構大きな木である。

_389w640 落柿窯の柿の木。今年はたくさんの実をつけた。まだ少し青いが食べられるようになった。実は小振り。なりすぎているのだろう。この柿は「御所柿」といわれる。大変甘みが強い。「次郎柿」だという人もいるが、甘みが全く異なっている。

_391w640 一枝手折って備前の赤い鶴首にいれれみた。実が重くて枝がしなる。

朝の気温が15度を下回るようになった。今がもっとも良い季節。この時期に窯を焚きたいが、今年は制作が追いついていない。秋の夜長を有効に使うしかあるまい。

_392w640 夕方、集落の中心に建つ大師堂の宝輪の向こうに茜雲。明日も晴天だろう。

_393w640 今夜も快晴。少し欠けてきた居待の月が東の空に輝いている。

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2006年10月 8日 (日)

祭りの季節

 秋の祭りの季節になった。落柿窯のある小さな集落でも祭りを一週間後に控え、村人総出で朝から神社の掃除をした。晴天の朝の清々しい空気は気持ちが良い。約1時間ほどで掃除は終わった。神社の境内にある銀杏はまだ色づいていないが、側の畑に植えられているコスモスは今が盛りである。

_386w640 土戸八幡宮と呼ばれる神社の本殿。大きくはないが風格ある建造物だ。周りには関連の神が祭られる社が点在する。

この神社の御神体は何か知らない。

_387w640 境内の大銀杏。まだ色づいていない。毎年無数のギンナンの雨を降らせるが、今年はどうも不作のようだ。おかげで掃除が楽であった。

_385w640 神社の側の畑にたくさんのコスモスが植えられている。今が盛りのコスモス。子供の頃、コスモスの花びらで恋占いをした秋の日が懐かしい。

 この時期、田舎では決まって豊作を願う祭りがあちこちで行われる。それぞれの地域によって規模も出し物も異なるが、村人の豊作を祈願する気持ちに違いはない。

 備前では10月14日、15日の両日、JR赤穂線伊部駅前を中心に備前焼祭が開かれる。備前焼の祭りとしては年に一度の大イベントである。例年10万人を超す人で賑わうが、今年も大いに盛り上がってほしいものだ。晴天であることを願う。

_390w640 今夜は快晴の空に立待の月が浮かぶ。

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2006年10月 7日 (土)

初時雨の日・十六夜

_384w640 十六夜の月。

初冬を思わせる北風と時雨の一日。深まりゆく秋を実感する。

昨夜の中秋の名月は叢雲に邪魔されて堪能できなかったけれど、今夜の十六夜の月は心ゆくまで楽しみたい。

 昨夜のW君のブログに李白の「月下獨酌」が紹介されていた。彼の博学には舌を巻くが、李白は日本人の感性とはやはり違うようだ。大陸のおおらかさ、豪快さが李白だとしたら、東洋の東の端の四季のある小さな島国で育まれた繊細さが日本人の感性だろう。

 日本人は古来より自然の恵みをもたらしてくれる太陽に畏敬の念を持って神として崇め、一方、月に対しては闇を照らす友として親しんできた。それは太陰暦を生活のリズムとしてきたことからも容易に想像できる。特に月に対する日本人の思いは尋常ではない。

 名月があいにくの雨で見えなくとも雨月といい、曇って見えなくとも無月というように、雨雲の向こうに月を見る日本人の感性には脱帽するほかない。

 中秋から一日遅れの月は十六夜の月、二日遅れは立待ち月、そして居待ち月、寝待ち月と続く。これはとことんまで月を愛でる日本人ならではのものである。

 こうして月を愛でる心一つを取ってみても、改めて美しい国作りを叫ぶまでもなく、すでに美しい国に美しい人の心が育まれているのがわかる。

 今、この美しい人の心をいかに大切にしていくかが問われているのだということを知ってほしい。

_383w640 今年初めての時雨。黄色く色づいた稲穂が冷たい雨に濡れる。

_382w640 雨上がりの一瞬の青空。黄金色の稲穂の波。

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2006年10月 6日 (金)

美しい国の月

_380w640_1 今夜は中秋の名月。天気が心配されたが、夜が更けるに従って美しい月が顔を出してくれた。さっそく月見団子と季節の果物を供えて月見をした。時々叢雲に隠れる月もまた趣が深い。

どこかの国のリーダーが「美しい国を作る」ことをスローガンに掲げていたが、この国は今でも十分に美しい。ただ美しい国が壊されているとしたら、戦後60年に渡り憲法や教育基本法の理念をないがしろにしてきた時の権力が美しい国を壊してきたに他ならない。その反省の上に立たない限り荒廃は進むばかりだ。

 美しい国に住む国民は今でも美しい月を愛でる心を決して忘れてはいない。

_377w640 備前の器に盛るとやはりよく似合う。

月見団子が手作りでないのが残念である。もう一つ、ススキ、リンドウ、ワレモコウなどの秋の花が準備できなかったなが悔やまれる。 

落柿窯の主は「名月を取ってくれよと泣く子かな」という句が好きである。

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2006年10月 5日 (木)

窖窯の詩

 今、落柿窯の主の友人である新進気鋭の備前焼作家W君が窖窯を築いている。この模様を彼のブログで公開しているので是非見て頂きたい。時を同じくして、W君の師匠であるY師匠も同じような窖窯を築いているから驚く。こちらもY師匠のホームページ上のブログの覧でその行程を見ることができる。

 ところで、このところ備前では窖窯を築く人が多いが、この原因を探って見ると、最近の混乱した社会にあって、もう一度原点に戻ろうとする自然回帰のへの目覚めがあるのではないかと思われる。

 確かに備前の主流である登り窯は効率の良い優れた窯ではあるが、ここにきて効率優先ではない何かを求める力か台頭してきた結果が現在の窖窯ブームとその作品の再評価につながっているように思う。今後ますます窖窯が増えていくだろう。

 備前の窖窯の精神的支柱は、室町から桃山にかけての古備前と森 陶岳氏である。

 ここからは落柿窯の拙い作品。今日はいつも使っている輪花鉢に青いミカンを盛った。

_373w640 青いミカンがどんどん甘くなってくる。子供の頃、青いミカンは運動会のおやつの定番であった。この時期になるとなぜか運動会で怪我をしたことを思いだす。

_372w640 何も入れないと綺麗な緋襷が現れる。この鉢を見ると窖窯の焼成の妙に感心する。しかし残念なことに何カ所かキレている。

 

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2006年10月 4日 (水)

日の出の風景

 10月に入り朝の気温が20度を下回るようになった。やっと本格的な秋が来た感がある。

 今朝、日の出時刻、清々しさに誘われて外に出た。目の前に日が昇る。あたりの田圃や休耕田の草むらは朝露で銀色に光っている。朝の虫の音はまた一段と清々しい。今、一年で一番良い季節である。

_367w640 夏至の頃に比べると日の出の方角が30度ほど南に移動した。これから冬至まで、ますます南に移る。輝いている山の端から新しい太陽が顔を出した。

_368w640「朝はいつも新しい」こんな言葉がぴったりの風景がここにある。時間があればいつまでも歩いていたいと思わせるのどかな風景。

_370w640 先日の恵みの雨で遅れていた野菜たちが大きくなってきた。ネギも大根も白菜も水菜もみんな元気だ。もう少しで間引き菜が食べられそうだ。

 今日は落柿窯の「叩き長方皿」を一枚アップしておく。

_371w640 24センチ×37センチ。少し小さいが家庭で使うにはちょうど良い大きさだ。これ以上大きいと食卓で使うのが難しくなる。果物、寿司、刺身、鍋の野菜等何を乗せてもよく似合う皿だ。

 皿全体に胡麻。左右の赤いヌケが印象的である。

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2006年10月 3日 (火)

擂り鉢の試作

 先日、親しい人から実用擂り鉢の制作を依頼された。奥様が日々の料理に使われるという。落柿窯の主は擂り鉢にことのほか思い入れが深い。しかし、今まで実用擂り鉢を作ったことがないので今日試作してみた。注文の寸法は7寸なので、制作する場合は8寸以上の大きさが必要だ。

_363w640 これで8寸ある。中の櫛目を全体に入れてみたがうまくいかない。何か良い方法を考えよう。今日の土は良くなかったようで縁が切れている。

毎日、胡麻を擂ったり味噌を擂ったりするためには、櫛目がうまくついていなければならない。古備前の擂り鉢のように少ない櫛目ではよくないだろう。

_362w640 もう一つ小さめのものを試作してみた。写真手前のもの。こちらは6寸である。これで焼き上がると5寸以内にまで小さくなる。

実用擂り鉢は結構難しいものだ。何度か試作するうちにヒントが見つかるだろう。

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2006年10月 2日 (月)

初物を食す

 昔から「初物を食うと七十五日長生きをする」と言い伝えられているが、落柿窯の主は、今日初物を二つも味わった。一つは,今まで一度も味わったことのない全くの初物。日本ミツバチの蜂蜜である。

 この蜂蜜は、ある養蜂家の方からいただいたもの。日本ミツバチは巣の作りが独特で、西洋ミツバチのようにローヤルゼリーもプロポリスも作らない。作らないというより密の中にとけ込んでいるため分離できないという。従って、その分、味は濃厚になる。一口なめてみただけで市販の蜂蜜とは全く違うのがはっきりとわかる。今まで知らなかった蜂蜜の味だ。

_359w640 色は濃い琥珀色。西洋ミツバチの蜂蜜に比べローヤルゼリーやプロポリスがとけ込んでいる分薬効が強いと思われるが、小さな子供にはきつすぎるかも知れない。日本ミツバチは管理が難しく数が少ない。いずれにしても貴重な蜂蜜である。

_360w640 もう一つは、落柿窯の主の好物、柿である。落柿窯の柿はまだ青いが、今日いつものスーパーで「平種柿」を見つけた、この間からCMでよく耳にしていたが実際見たのは今日が初めて。早速買ってきて食した。少し柔らかめに仕上げてあるので主の好みではないが、それでも一年ぶりの味に満足した。主の好みはかりっとした歯ごたえの甘い柿である。落柿窯の柿が実るのが待ち遠しい。(盛皿は強還元焼成の落柿窯作。25センチある)

 今日、初物を食したおかげで、もうしばらくは生きていられそうだ。

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2006年10月 1日 (日)

秋雨の一日

 昨日の天気予報の通り、今朝からの雨は畑の作物にとって恵みの雨となった。この雨で野菜の成長がよくなるだろう。

 今日は従弟から季節のブドウ(マスカット)と栗が届いた。いつも気にかけてもらって感謝している。新鮮な季節の味は何よりのごちそうである。

_358w640 届いたブドウと栗。早速いつもの皿に持って仏様にお供えした。主は後でお下がりをいただく。

栗もずいぶんしっかりしている。茹でるのが楽しみだ。

マスカットはブドウの女王というだけあって、味もさることながら色もよい。自然の色は上品である。マスカットの正式名称は「マスカットオブアレキサンドリア」という。

 落柿窯では大きな鉢や皿はよく作るが、小さな食器はあまり得意ではない。しかし数は少ないけれど食器も作っている。

_355w640 約7センチほどの銘々皿。これに和菓子でも乗せるとよく似合う。

_356w640 12センチほどの多用途に使える小鉢。この鉢は窖窯特有の焼成になっている。一番使いやすい大きさであり深さであると思う。食卓で活躍できる小鉢だ。

_357w640 落柿窯の主が好きな擂り鉢形小鉢。約10センチで多用途に使える。擂り鉢は大きくても小さくても形がしっかりしていて好ましい。

 擂り鉢は備前焼の原点であり永遠の課題であると思う。

 こうして見ても落柿窯の主人は食器が下手である。食器ならやはり従妹の作品が優れているなと改めて感じる。

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